愛国者
日本という国が好きだし、誰よりも日本人らしく、日々生きているつもりである。どうもこの点が癇に障る人がいるらしい。何度も書いているが、現代の日本人は、日本人的でなくなっている。日本人的な感性とか、日本人的な暮らしぶりとか、そうしたものが急速に失われている。これが残念でならない。このブログでは、日本的なるものが、私なりに言えば、「地場・旬・自給」がこれからの世界に不可欠なものになる。日本の文化を見直す事が無ければ、世界が悲惨な状態になると考えている。その日本の社会でも、日に日に失われて行っている日本的なるものを、もう一度掘り起こしたいと、そうした生活を送っている、つもりである。日本人というものを観念的に考えるのでなく。実践的に感じ取ろうとしている。水とか、土とか、そう言うものから日本を感じ取ろうとしている。それは絵を描いてきたという事ともつながっていて、実際に行動することで、日本が何故、循環型の世界を構築できたのかを知りたいと思っている。
もちろんそれは、中国や朝鮮から学んだものを日本が育んだということである。稲作が日本人の基本的な生活手段であったわけだが、中国で生まれた農法である。それは現代でも中国には、天空の棚田のような形で残されている。その農業技術は4000年の蓄積がある。しかし、日本に伝わり日本独自に育まれ、特に日本社会のあり方を、日本人の暮らしかたを定めていったのが、日本の稲作文化であったと思う。それは、大半が同一民族の暮らす島国において、世界から一定の距離を置いて、独特の閉鎖社会を江戸時代に形成した。この間にさらに日本人的な性格が醸成された面が強い。水でつながった暮らしである。弥生時代以降、稲作を基幹産業として生きてきた日本人は、通貨として米を扱うほど米を基本にしてきた。四季折々の多様な自然を味わう文化も、稲作と密接に繋がっている。こんな風に日本の事を書くと、今さら無理だと考える人もいるだろう。
「東アジア共同体構想と、日本文化の独自性が矛盾するのではないか。」これはある面正しい指摘だと思う。そうなりがちな危険性は多分にあるだろう。中国のしたたかさと、日本の単純さを思うと、危うさは十分にある。しかも日本自体が日本文化を失いつつある危うい状況である。しかし、ヨーロッパにおいては各国の固有の文化を失うことなく、共同体を模索している。フランスはEU以前と、EU後と自分なりにみてきたたが、フランスであることに変わりはなかった。むしろ、アメリカの属国的存在におかれた、この60年の日本文化の崩壊は目に余るものがある。東アジア共同体が構築されることで、アジアと深く付き合うようになる。日本や東アジアに残っている循環農業が、統合され、より世界全体に発信できるものになる可能性も期待できる。
日本が、中国や朝鮮から学んだ文化、それはほとんど日本人の精神構造にまで及んでいる。それは日本人の恥ではない。それで日本人が日本人で無くなった訳ではない。むしろ日本人になったのである。アジアから学んだものを日本独自に上手く育て上げてきたことが、日本人である。絵画においても雪舟は日本絵画の祖と言えるだろうが、中国に留学して学んだ人である。その学んだものが、むしろ日本的に展開され、より繊細で、大胆な桃山期の日本絵画を形成する。その伝統は、今世界に注目される、日本アニメの原点ともいえる。こうして考えてみると、稲作文化の原点帰ることと、東アジア共同体は、少しも矛盾しない。中国は怖い国であるが、本質的には包容力のある国である。何も、江戸時代のような稲作を中心にした暮らしに戻れというのではない。そうした原理主義的な発想では、問題はさらに深刻化するだろう。それぞれの分野で、稲作文化の繊細な心配りを行う必要があるということ。それが唯一世界を次の可能性に導くと考えている。
昨日の自給作業:追加の田植え2時間 家の田んぼの準備3時間 累計時間:42時間