何故か、円暴落とは言わない。
ドルが、60円台から、80円台に変わった。ユーロも96円から109円にまでなった。何ヶ月の間のことである。不自然すぎる事態である。貿易赤字が問題視されている。これほどの、乱高下では企業は日本一国に立脚することは不可能であろう。日本は1960年代中盤までは、貿易赤字国であった。そのことが日本の成長にはいい事だと言われた。又その通りにその後の高度経済成長の背景には、長い間の貿易赤字状況が存在した。その頃も、何故赤字が国力の増大に繋がるのかと、すっきりはしなかったことは確かだ。今の時代の赤字の要因は大きく3つ。「円高」による製品輸出の減少。同時に「円安」による原材料や燃料の高騰。かつて日本企業と思われた、グローバル企業の製品の輸入増大。言いなおせば、日本企業の海外生産製品の逆輸入の増加。もう一つが燃料価格の高騰。原油が高騰しているうえに、原発が停止して輸入量も増加。さらに東北大震災やタイの洪水による国内生産の停滞、休止。
震災の復興特需から考えれば、今年から来年にかけてかなり経済は回復するだろう。株は一気に20%も上昇したが、まだまだ上昇する。1万3000円まで行くだろう。19兆円とかいう巨額の財政的投入を行い、1,2年は様々な形でで経済が動き出すだろう。しかし、2年後あたりからマイナスの揺り戻しを予測しておいた方がいい。赤字問題と併せて考えれば、復興に伴う輸入もさらに膨らむと考えておいた方がいい。次に円高も円安もあくまで一時的なものであり相対的なものだ。まだまだ、下がってくると思っている。「なぜ円高なのか」を考えればそうなる。日本経済が近々に良くなるとは思えないので、下がるときが来ればさらに下がるだろう。となると、いよいよまずいのが、燃料輸入の増大である。これが多くの企業家が原発の再開を言いたくなる原因だろう。
根本から言えば日本の製造業が、普通の国の普通の形に落ち着いてきたということだ。貿易が赤字と言え、貿易外収支から言えばまだ黒字である。特に産油国以外との関係から言えば、まだ輸出超過である。江戸時代においても、さらに明治以降の日本の国際化、そして戦後の復興と輸出立国。この背景には、ごく一般的な日本人において、たぐいまれな観察力とそれに基づく調整能力が存在した。すべては水田耕作にも続く水土文化である。それが失われてしまった。その失われたものは、学校教育とか、社会教育とか、いうようなものでは到底補うことはできない、深刻なものである。教育はせいぜい体験学習どまりである。暮らしの基盤が失われている状態では、人間の能力が育つことは難しい。どうすれば日本人の基本的能力を育てられるか。この事を考えることが根本。
農業と食糧輸入がある。円高になれば少々の生産性の改善など、一次産業では忽ち吹っ飛んでしまう。原油が高くなれば、ハウス栽培でも採算性が取れなくなる。これは工業製品以上に影響を受けるものとなる。10%の生産性の向上は自然に従う一次産業的ではに緩やかにしか出来ない。飲み屋のワタミが、介護では成果を上げたとしても、農業分野ではイメージ作りだけである。「イオングループも農場とスーパーを結んで」と言うようなことを言うが、イメージ作戦の規模でしか農場は無い。宣伝費で運営されているのだろう。農産物もこのままでは、日本企業のグローバル企業が海外で生産したものを日本に輸出する形が、さらに大きく出て来るだろう。企業が国を跨いでリスク分散するように、国の経済も、この為替の変化からどのように逃れればいいか。私は生活者として円安になることの方が、素直に心配である。