天皇制廃止
女性宮家の問題が、出てきている。天皇制は廃止すべき明治政府の間違った制度である。敗戦後の移行制度だ。現在の天皇制は、日本本来の天皇家というあり方を尊重していない。暴論がでやすい状況に置かれている。江戸時代の天皇家に戻すことが基本である。明治政府が自分達の正当性を主張する為に、天皇制を利用したことが、現天皇制の基本となっている。戦後、新憲法下の天皇制も、アメリカの占領政策に利用される形の天皇制が定着した。今の状況は、本来の天皇家のあり方と、かけ離れている事を考えるべきである。何故天皇家が尊重され、日本という国を司る立場であったかである。それは、曖昧な宗教とも言えない、日本教の教祖的立場であるからだ。この何とも言えない曖昧さが日本人の知恵のようなものだろう。わたしの言い方で言えば、水土の統括者であった。それは、日本の稲作農業を、統括指導してきたということになる。時代によって、様々な利用のされ方がされてきたが、この先天皇家には重要な役割がある。
もう一度稲作を行い、日本人本来の暮らしの手本になることである。それは日本教の神としての存在でもいい。天皇家は日本人の成り立ちに取って大切なものである。大切にすると言うことと、元首にするということは全く違う。天皇が元首という発想の裏にあるものは、自分が唯一の正当な臣下であるという主張である。天皇の権威というものの下に、自分を置きたいということである。これは天皇家本来のあり方に、全く反する、ふさわしくないことである。江戸時代の天皇家は、権力から外れ、文化を持って自分の存在を確立した。いわば世界文化遺産のような存在である。それは江戸幕府の巧みな、統治政策の中で確立した知恵である。現代社会で天皇家の、意味と価値を高めるためには、現代社会に相応しい知恵が必要である。やはり、農業をしてきてみると。その存在の意味に、良かれ悪しかれ出あうことになる。ご先祖様に見守られて生きる、暮らしの奥に、天皇の存在が見え隠れしている。
天皇家は奈良の方に戻ったらどうだろうか。最近農の会の仲間が奈良の方に行った。なかなか良い所が、過疎化しているようだ。そちらに戻り、稲作をやるのがいい。日本人本来の暮らしを、儀式的なものを含めて、行ってもらう。その姿によって日本人がどのようなものであるのかが、誰にも分かるような暮らしをしてもらう。その役割を果たせるのは、天皇家だけである。そして日本古来の祭礼的役割も、司ってもらう。大切なものとして存続するが、誰の利用もできないような位置づけにする。つまり非政治的存在に出来る限りする。政治的混乱時に、たびたび、天皇制が持ち出される危惧が強い。これから日本国は抜本的な出直しになる。こうした時、必ず出て来るのが、天皇の政治的な利用である。天皇家を存在させてきた、日本的知恵をもう一度発揮する状況ではないか。まさに明治政府の天皇利用からの、ソフトランディングである。
女性宮家の創設など、その次の議論である。天皇制をどうするか。これを深く議論する必要がある。具体的なイメージを書いてみる。特別天然記念物の日本鶏というものが居る。古事記にも登場するように、日本人の暮らしのどこかに、常世の時代から存在していたものである。日本人を形作った何がしかの文化と言える。しかし、現代日本人の暮らしからは、完全に排除された。その美しい時の声が、騒音になってしまった時代。天皇家がこの日本鶏を飼う。その意味は大きいと思う。稲作を行う。水を祭る。日本人が忘れてはならない暮らしの原点を、天皇家に貴重なものとして暮らしてもらう。ご先祖を敬い、未来の平和を願う暮らしの実践。それを尊ぶ日本人という関係。村の鎮守。水神様。そのどこか連なった遠くに、天皇家が存在し、日本人の暮らしをしているというのは、有難いことではないか。