2012年味噌作り

   

日曜日に雨で2週間延期になった、味噌作りの会があった。味噌は基本として作ってきた。農の会関係でも10数年は続けられている。ここ5年間は大井町のあさひブルーベリー農園でやっている。農の会の仲間の小宮さんが園主である。水土的に足柄平野を統括するような大切な位置である。今年は大豆の会を藤崎さんが引き継いでくれて、新しい空気の中で行われた。80キロ弱の大豆を煮た。今年は生の大豆を持ち帰り各自が行う人も何人かいた。100キロを越えていた前回に比べ、量が減った。参加者も前回は80人と言う事から見るとだいぶ減少した。それでも総勢40人近くが参加した。不思議なもので藤崎さんに変わると、何か以前とは違う活動に成る。放射能で崩壊し、再生の7月の種まきから始まり、良くここまでたどり着けた。藤崎さんに心より感謝。新しい味噌作りが出来た。祭りが終わったような、充実感と脱力感がある。味噌作りには力が入ってしまう。

前回までの中原さんはとても緻密に準備する人だった。何故か今度の藤崎さんも、それに劣らず準備万全だった。味噌の会は毎回新しく参加する人が沢山いる。農の会の活動としては、味噌作りに初めて参加して、田んぼの会等の他の活動に参加することになる人がいる。しかし近年味噌をあまり食べないと言う人が増えている。せっかく参加したのに、作った味噌を持て余していると言うので、がっかりしたことがある。味噌を作るということをきっかけにして、食の自給に近付いてもらえたらと言うのが、農の会である。お茶づくりもそうなのだが、日本茶を飲まない人が増えている。それはそれで仕方がない事だが、暮らしの面白さを味わってもらい。自給の暮らしに目を向けてもらえればと思う。今回は是非「塩麹」を皆さんに紹介したかった。麹を余分に作ったので皆さんに販売しながら説明をした。塩麹の宣伝マンである。それくらい麹は生活に取り入れてもらいたい。今ブームだと言うから普及のチャンスである。発酵は自給の暮らしの出発になる。

味噌作りは、大豆を作ることから、そして麹づくりは米作りから。これは農の会の食べ物を自給する考え方である。大切にしているのは、最初から終わりまで全体をやり通すことの意味。大豆蒔く所から味噌汁を飲む所までを、ずーうと通してみて、自分の暮らしの立て方の見晴らしが効いてくる。都合のいい一部だけをつまみ食いするのでは、主体的な対応が生まれてこない。ここのところを商業主義に巻きこまれ、溺れる。いわゆるおしゃれなロハスな暮らしである。煩わしくない部分だけ、つまみ食いしていい気分が出来る。しかし、畑を耕す事も、雑草を引き抜くことも面白い。すべてで暮らしである。もちろん何でもかんでもやれというのではないが、一つでも全体と言うものを体得する。世の中から与えられたものでなく、自分の手ですべてを担ってみる。この体験から好きなことが見えてくる。大げさに言えば、自分とは何かが見える。

麹づくりである。麹屋の女将になりたかったと藤崎さんが言っていた。そのくらい麹造りは奥が深いし、面白い。これも、藤崎さんが米作りから麹づくりまでをやり通したからこそ言えることだと思う。米を作ると、米と言うものが分かる。麹の温度管理をしていると、微生物と言う目には見えない何兆個もの生命が輝いていることが感じられる。そしてそうしたものに自分が生かされているということ。そして、命としての自分はその一つとして生まれ死んでゆくという大げさなことが、空想される。麹は完璧に出来る訳でもない。上手に出来ないにしても、実用上全く問題がないことが分かる。暮らしはそこそこの日々の妥協だ。美味しい味噌になればいいのである。文字通り手前味噌で、我が家の味噌以上に美味しい味噌を食べたことがないのだから、それ以上はいらない。

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