汚染砕石の流通

   

政府は放射能について、制御不能に陥っている。しかもその責任を感じてすらいない。まさか汚染地域の砕石の流通を止めていなかったなど、バカバカしくて話にもならない。無能な政府を持っている国民の哀れさである。稲藁からの牛肉の汚染。事前調査の甘さからのお米の汚染。何度でも繰り返す失態。誰も責任を取らないことがおかしい。事態を悪化させる政策放棄。これで何が収束宣言だ。こんな事だから、被災地のがれきの処理に不信が持たれる。政府が無能である前提で、自己防御しなくてはならない。風評被害うんぬんどころではない。わたしは材木を心配している。福島の材木を30年出荷停止にしたらどうだろう。そして立派な大径木にする。その経費を国と東電が補てんする。放射能汚染された材で作られた家には住めないだろう。焼却灰をコンクリートに混入することもただちに禁止すべき。

小田原でも山の汚染を考えたら、状態の確認をせず伐採するのはためらう。放射能を問題視する人たちは、政府が無能なのだから、これから先何がリスクが高いかを予測しなければならない。なぜならば、放射能汚染された材で建てられた家に住むということは、採石がコンクリートに混ざる以上にリスクが高まる。床に寝ころべばある意味内部被ばくに近い状態になる。常緑樹が幹にまで放射能を吸い込むことは確認されている。以前にも書いたのだが、伐採するなら外皮に止まっていた半年ぐらいの事である。その後は30年は注意した方がいい。小田原の焼却灰の汚染が1回目より2回目は下がっている。これは、枝葉の放射能が全体でいえば下がってきている可能性を示している。その分落ち葉で落ちたものと、幹に吸収されたものがあるだろう。材の汚染の確認が必要と言う意味である。川の汚染も徐々に下流域に及んでいる。地下水全体も下流に放射能が流れているだろう。そして、何年後かには海に流れ込む。海がどうなのか。

普通の感覚なら、今回の採石場の位置からして出荷するなど、考えにくいことである。採石場の社長は、復興の為だと考えたので良かれと思いしていたということである。被害者の一人である当事者を責めてはならない。指示を出すべき政府が、単に無能であるに過ぎない。人間の避難すら、指示が出来なかった政府である。すでに終息宣言を出した恐るべき政府である。命にかかわることで依存していてはならない。自ら判断をしてゆく必要がある。今は非常事態である。平時ではない。平時に起こったような、ダイオキシンがうんぬんという感覚では乗り切ることが出来ない。リスクはすでに高まったのだ。それを避けて移住するのもよし。受け入れてどうリスクを低減するかを考えるのもよし。それぞれが生き方を問われている。一番まずいのは、怖れるだけで判断が出来なくなることだ。私は100ベクレル以下のものは喜んで食べることに決めている。それは年齢の事と、この土地とともに生きてゆく覚悟をしたからである。

水の問題である。最後は海に行く。海の汚染どうなるのかは良く見ておく必要がある。河口海岸地帯には放射能が高まっている所があるようだ。こういう所の魚介類はこれからリスクが高まる。植物連鎖からして、1年、2年経過してからの方が、リスクが高まると見ておかなくてはならない。田んぼで言えば、昨年は谷戸田のことだったが、これから平野部の田んぼは昨年よりリスクが高まる所がありうる。徐々に汚染は下流部に移るかもしれない。稲の場合は、土壌との関連より、水に混入する放射能である。それもきわめて少量で、土壌に蓄積するようなものですらないのではないか。その放射能は測定しても出ない位濃度が低い物のようだ。その極めて低い放射能を稲は栽培状態によって吸着するようだ。昨年クリアーしたからと言って今年もそうとは限らない。小田原では50ベクレル以下の数値は出ている。

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