水土の再生1
日本がいかに崩壊したかという話は、聞き飽きたし、書きつくした。が、その崩壊の実態に気がつかない人もいないとは限らないので、整理して明確にすれば、どう再生すればいいかが考えやすくなる。簡単には書けそうも無いので、その1ということになる。
筆頭として、「水土の崩壊」を上げておかなければならない。あえて、風土ではなく水土というのは、その意味を明確にしたいからである。日本という国は、この水土で出来上がっている。伝統の技術や、環境を含めてである。そして日本人という肉体も、この土から出来る食べ物と、この水を飲んで出来上がる。人間の肉体的原点も含めて水土である。戦後の日本が行ってしまった国土の破壊。河川の上流にはダムを作り、河口堰を造り取水する。上流から河口まで、ほとんどの河岸をコンクリートで固めてしまった。これは大きな河川だけでなく、小さな河川でも3面張りのコンクリートの通水路のようなものに変貌した。さらに小さな、小川まで、U字溝に変わった。一方海岸線においては、テトラポットとコンクリートの港湾工事である。安全とか、防災とか、水資源とか言いながら、実は土木業への熱情に浮かれた。土木工事の自転車操業で、土建国家として動かされてきたことの方が、実態であろう。他に道はあったのだが、視野の狭い、展望のない、愚かな国づくりをしてしまった。
かつての水神を設けて、水を畏れ敬い大切にする暮らし。上水と下水とを分けて、暮らしで水を汚さない知恵。上流で暮らす村は、下流で暮らす人達のために、より大切に水を守る心が育まれた。水を管理するのではなく、水をお祭りし信仰する。その恩恵を分けていただく暮らし。工業化社会が、水というものの意味を一転させてしまった。ヨーロッパ人が、工業化社会を作り上げる中で、失わなかった根幹に気付かなかった日本。こうして水土をないがしろにしながら、根底の民族の精神を日本人は見失った。多くの日本人が、水の浄化装置でも作り、工場から水が生産できると考えたのだろう。そして日本の水土までもが、工場で作り上げられる幻影を抱いてしまった。人間が作り出せる自然などないと言ってもいい。人間に出来ることは、わずかな自然への手入れである。自然の中に自分の暮らしをどう織り込んでゆくかである。自然の中に飲み込まれながら、どう調和を崩さずに、一生を全うできるかである。
稲作の暮らし。そこから生まれた日本人の文化。稲作に含まれていた、重要な要素をもう一度見直す。ここからもう一度始める事。日本人全員が稲作をする人になれば、日本の水土はいつかは再建できる。水を汚さず大切にするということが、身体で分かる。その行く先が公共の復活ということになる。観念とか理念が先行することは、少しも信じない。暮らしの日々から変わらない限り、人間何も変わらないと考える。日本人全体が、海外の人の犠牲の上に暮らしをしながら、悲憤慷慨する評論家である間は、何の意味もなさない。自分の手足で、暮らしのを実行するのみ。行動に起こさない限り何も変わらない。日本がここまで崩壊してしまったのは、わが身は企業の資本の論理に奉仕して、観念では理想論をぶっている人間が大半になってしまったからである。実際に稲作を行ってみること。自分で作ったお米を食べて見ること。ここから水土の景色が変わる。
それほど難しいことではない。江戸時代を手本にして、そこまで戻ればいいだけである。明治政府に洗脳された、日本人には江戸時代の実像が見えない。飢饉と百姓一揆の世界だと思い込まされている。一度は日本人は鎖国という制度の中で、日本人の水土を完成させたのである。それを失ったのは明治政府の富国強兵の間違った方角にあった。それ以降は日本の崩壊に至るまでの、道筋であった。アメリカとの戦争に敗れたことで、日本はその明治以降の帝国主義の野望を挫折し、精神の崩壊をきたした。もう一度江戸時代に戻ることだ。江戸時代の美しい水土に戻ることだ。そこからもう一度、始めて見ること。当時の日本人ほどの能力は今や失われている。時間はかかるだろうが、科学技術の進歩という新たに獲得したものもある。合理的にやればまだ、間に合うだろう。