小田原市施設白書
塔の峰青少年の家について特に関心がある。小田原の森林地域を見直す際に重要な施設と考えるからである。現在は有効に使われていない。今回、施設白書が出来上がったので、どのように分析しているか関心があった。年間利用者が2500人という施設である。83万円の収入の施設であり。正規職員が一人。臨時職員が1人で運営されている。歳出が1370万円。内1000万円が人件費である。もしこの施設が、施設の目的に相応しく運営されているなら、少しも高い費用ではない。白書の中では、残念ながらこの施設の分析や将来の方向性などは論議されていない。白書とは言いながら、市の所有施設の一覧、という類のもののようだ。一番大切なことは、目的の確認である。青少年の家が出来たのは、45年前である。大きく青少年をとりまく環境は変化している。この時代の施設として、ふさわしいものであるかが問われているのである。
白書には「課題と方向性」と言う項目もある。どうでもいい内容が書かれている。通り一遍で、少しも役に立たない。どうしてこういう内容で満足するのだろう。青少年の家にどういう課題があり、どういう方向性で考えるべきなのか。ここには通り一遍では済ますことが出来ない、深い課題が潜んでいる。小田原市の将来をになう方向性を秘めている部分が、大きく広がる、箱根山麓の森林地帯である。小田原の持つ無尽蔵という可能性は、「交流拠点・総合性」の2つである。この二つの目的になくてはならない位置づけが、青少年の家にはある。山の暮らし、町の暮らし、海の暮らし。この三つの暮らしを一つの地域で、子供が育つ過程で体験が可能と言う事が、小田原の無尽蔵な資源である。林間学校、臨海学校、農業学校、全てが地域で可能な街は少ない。
青少年の家は、林間学校の舞台になる必要がある。その無尽蔵な可能性が現在生かされていない。ここで行われるのは、山での自由な冒険である。その面白さがこの施設にはかけている。山遊び、いくらでも可能性がある。管理された施設として、面白みにかけるものになっている。山の暮らしを感じさせるようなものがない。例えば、林業体験。炭焼き体験。蒔き割り体験。登山道整備。草刈体験。山菜摘み。植林。間伐。沢遊び。山歩き。小屋作り。穴掘り。焚き火。虫取り。正に無尽蔵である。子供には是否やってもらいたいことである。子供の頃やるべき自由な遊びから、育ってくる感性がある。生きる力が培われる。役所の施設として、堅苦しい管理主義、事故のないことを優先した管理、運営では、こうした可能性が生れない。その魅力のなさから利用者が少ない。利用者に小田原在住者がすくないという事である。
青少年の家は本当の人間と接することの出来る場にできる。小田原に存在する、普通の人間であり、本当の人間である人と、子ども達が接することのできる場。無尽蔵の人材と接することの出来る場にする。欅やマロニエのような街場の施設ではなく、山の家において、膝を交えて交流する。終日働き、時を過ごし、一緒に泊まる。小田原には、子供と生活文化協会のように、既に何十年も山の家を利用した活動を続けている団体がある。そうしたノウハウを生かして、積極的にこの施設を利用する。現在杉檜の植林が広がっているが、これを魅力ある森に戻してゆく事を、事業目的にしたらどうだろうか。この施設を拠点にして、集まる子ども達が、少しづつ森作りをしてゆく。最初は海が見えるように視界をさえぎる、杉を切って、ログハウスを作る。クヌギを植えて、炭焼きをできるようにする。
機能の自給作業:ジャガイモの草取り1時間 累計時間:1時間