歌舞伎座の建て直し
歌舞伎座が惜しまれて、立て直されるようだ。あの建物をグロテスクとしか思ったことが無い人間としては、不思議な思いがする。嫌なのは、いかにも模造品である所だ。一見大理石風とか言う、壁紙は嫌なものだ。何故壁紙紙らしい紙で満足しないのか。Tさんの家は米袋を丁寧に再利用して壁紙にしている。なかなか美しいものだ。歌舞伎座は銀座の海側にあるから、どうしても傍を通ることがある。傍といえばあそこの立ち食い蕎麦屋は評判で、時に食べた。これは無くなったらしい。そっちの方が残念なくらいである。歌舞伎なら、木造建築と思うが、この感覚がすでに歌舞伎的でないのだろうか。歌舞伎は伝統芸能でなく、今の時代の芸能のようだ。海老蔵人気など見ると、今に生きている感じはする。それがあの歌舞伎座の姿が象徴。建て直しの結果、オフィースビルと歌舞伎の舞台が折衷するらしいから、今の時代を象徴しているとは言える。
小田原城を木造の城に再建するプロジェクトがあるらしい。これなら資金協力もしたい。と言っても貧者の一灯。小田原市民が一人20万円ぐらい負担すれば、立て直せるか。鉄筋コンクリート造りの城など、違う。これが小田原の象徴でいつまでも存在する事は、小田原の残念の一つである。あのお城を持って、城下町サミットを開催し、ハイデルベルクやペルージャだったか、招待しようというのだから、すごすぎる発想だった。小田原市の市民会館も建て直しが計画されているが、その前にやらなければならないことある。それを使う人の方の育成だ。市民の中に使いたいという人が居て、初めて建物は作られる。市民会館は絵の展示場も兼ねている。あの環境で自分の絵は展示したくない。その昔、水彩連盟の仲間だった井上正子さんが展覧会をやったので、小田原まで見に来た事があった。正直これはまずいと思った。小田原の距離は、いいものを見るのに東京まで、30分と言う事を忘れてはなない。
必要ならふさわしいものが出来る。必要とされていないのに、建物だけ作るとおかしなものになる。歌舞伎座は分を心得ている。銀座という地の利を生かして、オフィースビルとの複合施設である。小田原の市民会館が、ロビンソンデパートと複合施設であったって、少しもおかしくもない。無理に駐車場も無い施設を作った所で、いい使い道があるのだろうか。駅周辺の活性化とつなげるなら、市民会館ではない。駅周辺商店街はふさわしいものが、ふさわしくあるのが今の状況。衰退ではなく、これからの大きな変化を考える必要が在る。当面、大会場は南足柄をお借りする。他所から呼んでくる催しは、南足柄まで見に行く。その方が便利な市民は多数居る。絵画の展示場や様々な施設は現在の場所からはずす。サポートセンターなど駅前に持ってゆける施設はそちらに移動。美術館は一夜城辺りに採光の良い、景観もある施設に集約する。これも地域の地場産の物産館などと、上手く複合する。それほど大きなものでなく、軽井沢のペイネの美術館程度がいい。と言っても市民展が開ける規模が最大か。
いずれ、歌舞伎座をヨシトスル美的感性は御免蒙りたい。本物に似た偽物。これほど嫌らしいものはない。ついでに言えば、築地本願寺というのも、いただけない。あそこで、Xジャパンの誰かの13回忌法要があったらしいが、3万5000人が出かけたらしい。何かそういうときにだけぴったりしている。東京駅はアムステルダム駅とか。これが今に繋がる明治以降の日本の文化の嫌いな部分だ。西洋かぶれ文化。香港フラワー文化。他所の事はともかく、小田原では広域斎場が作られる。統合合理化と言う事らしい。これも、明らかに考え方が違う。嫌われものを、なんでも隅に追いやろうという、行政的考えはわからないでも無いが、せめて心のこもる日本的な建物にして欲しい。豪華絢爛や、最近流行の葬儀施設のセンスでなく、日本人の本来持っていた、弔いの場に相応しい建物になってほしい。