ツツジの植え込み

   

三つ葉ツツジと山ツツジを併せて、2000本ほど山の畑に植える作業に参加させてもらった。小田原植木さんの圃場である。と言っても、里地里山の協議会の協力事業でもある。実生から育てた苗らしいので、二,三年育てた苗木。苗木は10本ずつ緑の細かなネットに入れられていた。畑は、屏風と呼ばれる地形の西側の上の方に位置する。東南向き斜面で、丁度相模湾に正対している。中央やや南側に作られたコンクリート道路は、傾斜の角度は、真っ直ぐの上り道を車で登れるギリギリかなと言う程度である。道路を挟んで南側の小さい畑が6段。北側が5段だったのではないか。土はいわゆる赤土で、まだ開墾されて間もない新鮮な状態であった。400坪の面積で、3日の工程の苗木の植え込み作業の予定のようだった。1日目は圃場の土壌の準備。ピートモスを混ぜながら、細かく深く耕す。2日目は植え込む。3日目は藁を敷き詰め、1箇所階段を作る。

三つ葉ツツジと、山ツツジは以前は久野の山には、いくらでもあった樹木である。山梨の境川では、日当たりの良い斜面には、一面と言いたくなるぐらい、生い茂った所があったものだ。ツツジが山に戻り、山を彩るようになる事を願っての、苗木の育成である。何故、山につつじがなくなってしまったか。それはあまりに美しい過ぎたからである。三つ葉ツツジの姿かたちの美しさは、四季を通して、別格だと思う。日本の山里の当たり前の美しさを、下支えした草木の一つに違いない。子供の頃の記憶には、いつも三つ葉ツツジがある。お寺の庭に一面にあったからでもある。山では一番は植林でなくなっていった。無くなって来ると、何かと、山から里へと移されていった。舟原に沢山あるつつじは、森林組合の仕事で、切るのが可哀想だからと運んだものがあるそうだ。山ではあっという間にその数を減らした。今花の時期で、舟原のどの家にもそれは見事に花を咲かせている。

この木がすばらしいのは、木姿がまたいいのである。刈り込めば刈り込んだようになるが、手をかけないで置けば、実に良い自然樹形を作る。ツツジの女王の名前が与えられえいるのは、誰でも認めるところだ。花が終われば、新緑である。「みどり」と言う色の名前は、まさにツツジの三つ葉を広げてゆくすがたから来たと、言ってもいい。それほどくっきりした緑を示す。今の日本の山は真っ黒である。重い色をしている。柔らかさ、暖かさ、柔軟さ。無用の用である。つつじが何に役立つ訳ではない。確かに杉檜なら、建築材料である。悪いわけではない。適正な量の管理された、植林は行うべき事業である。しかし、管理も充分に出来ない状態では、多すぎるのだ。ツツジを植えれば山が戻るとは思わない。それでも、山を自分達の庭だと感じるためには、必要なものだと思っている。

こういう作業は本当に楽しい。専門家中の専門家が、手をとり教えてくれるのである。こう言う場面だから、何でも気軽に聞ける。土の作り方、肥料のやり方、水のやり方、植え込みの時期。方法。しかも、となりにお茶畑があったので、こっちでは、お茶の専門家から、先日の凍害の実態を細かく教えてもらえた。設置ファーンの効果と限界、地形的な障害のおこるメカニズム。お茶の大切な生理が、少し理解できた。昼ごはんは一番上の、テラス状になった平地で食べた。こんな楽しい作業が出来るありがたさ。一員として加えてもらえたことだけで、大満足である。市民一人ひとりが自分の手で、山に戻す事業。これが次の「美しい久野里地里山協議会」の事業だと思う。

 - 地域