有機農業モデル事業廃止
事業仕分けの基本の思想は、誰が何をするのかを仕分けるのだと思う。私は「小田原有機の里づくり協議会」の理事の一人として、この有機農業モデル事業に参加してきた。「国が行うような事業ではない」と、判断したのだろう。当事者の一人として、この仕分けを間違った判断だとは思わない。農水省は、有機農業の意義や推進してゆく方針を、明確に伝える事が出来なかったのだと思う。農水省自身が良く理解していないのだろうと、当事者自身に思い当たる所がある。当然の結果だと受け止めている。農水省の中には我々以上に有機農業に精通している人もいる。しかし、仕分けに出る担当者が有機農業の意義と、今地域でこの事業がどういう役割をしているかを、理解している可能性は極めて低い。有機農業嫌いの担当官であった可能性の方が高いという状況がある。
仕分け人から「有機農業を個人経営でやられている人もいる。モデル事業には馴染まない。」こう言われたらしい。その人にどこの誰がモデルになる事業をされていて、それはどんな有機農業かを伺いたい気がする。つまり、民間がやるべき事業と仕分けられたと言う事だから、そのあるべきとした現実モデルを、教えてもらいたい。この行政の役割。民間の役割。このことは常日頃考えている。何をやってもここにぶつかるからだ。行政に関わると、この点でいつも矛盾を感じる。本来民間がやるべきことを、親切にしてくれる事がある。また、行政がやるべきと私が考える事を、全くやらないで平気でいることがある。多分行政の人は行政のやるべき範囲を、自覚していない。お金を誰が出すかと言う事ではない。行政がやらなければならないのは、行政でなければ出来ない事である。これに限るべきだ。
有機農業のモデル事業という形でやらなければならないのは、農協という形での農業の受け皿の実態が崩れ始めている、補完であると考えて動いてきた。有機農業で農業経営を独自に展開されている個人は、独自の販売システムを確立されている。生協とかかわり。独自の消費者とのつながりをそれぞれに作り出している。農協という形での販売システムに依存していたのでは、競争力のある、農業は出来ない。こう考えて展開している人達である。そのアピールの材料の一つに、有機農業というものが存在している。JAS基準という有機農業の仕組みの成り立ちがまさにそうである。この独自に活動する、ある意味先見性があるのかもしれない。こうした農業者は本来農協の中心に存在し、これからの農協を支えて行かなければならない人材でもあるのだろう。その意欲のある農家が、農協と別行動を取っている。ここをどうするのかに、有機農業のモデル事業の意味が存在する。
農協に頼っていたのでは、農業経営が出来ない。この現実から生まれたともいえる、有機農業の農家を、地域という単位で新たに束ねることに意義が存在する。だからこの事業について、個人でやるべきものという視点で仕分ける。日本の農業の現状を把握していない人の意見である。農水省自体が、この事業の位置づけが充分でないのだから、仕分ける方が的外れであるのも、当然の事であろう。この事業はむしろ野党時代の民主党の主導で、行われた事業である。その時点で必要とした根拠。今不用になった根拠。これを聞かせてもらいたいものである。聞いても誰にも良く分からないだろう。大きな変革の中で、こうした不条理も当然起こる。民間でやりなさいよ。こう仕分けられ、又、バラバラになってしまわないこと。経済ではない、連携を作り出す。つまり、小田原の農業の方向性を行政が作り出すこと。これが、行政のすべき事だ。