小田原市・箱根町・真鶴町・湯河原町の一般ごみの行方

   

7月27日 19:00より、ごみについての話し合いを持ちます。
久野区民会館 2F和室
内容
1.報告 佐々木ナオミ(小田原市議会議員) 今回の市議会の中で唯一この問題を取り上げてくれた議員です。
2.意見交換
主催者は 『地域のごみ』市民会議
お問い合わせは久野環事務局( kunokan@yahoo.co.jp )まで

いよいよ、行政による広域化の説明会が、8月末頃から行われると言う情報がある。「ごみ処理広域化の考え方」によると、日量320トンのごみの焼却処理が、小田原で行われる事が発表されている。一体誰がどんな責任で、こんな重大な決定をしたのだろうか。こう言う決定的な要素を、市民が関わる前提として決めていいのか。小田原の議会の委員会では、意見もなく素通りだった。どんな意識の議員の方々なのだろう。当然と考えているのか。気がつかないのか。ゴミの広域処理に対しての、市会議員の皆さんの意識の低い事には驚くばかりだ。市会議員をしていてもごみは出すだろう。自分のごみの処理法の肝心な所に、もう少し目を向けてもらいたいものだ。小田原で燃やすのが当然などと言う事は全くない。行政の担当部署の以前出した資料では、小田原で焼却するのが、一番お金がかからない。と何の根拠もなく決め付けている。根拠がないというのは、きちんとした廃棄物会計を行い、計算したことがないという事だ。佐々木議員の議会質問には、前向きに検討すると言うような曖昧に答えている。

広域のごみ処理が止む得ないと言う前提があるとして、その最初に、焼却炉の位置を決めるということなら、さらに、その場所は一番経済的合理性がある場所がいいという前提で、本当はどこなのか。先ず、土地の価格の安い所という考えがある。土地の取得費。焼却炉が出来る事で、土地価格は周辺まで下がる。一方、廃止される現在の3箇所の焼却炉周辺は、土地価格は上がる。住宅地域であれば、住宅も増える。人口増まで、様々な要素がそこには存在する。そうしたもろもろは、市民税にまで及ぶ。つまり、焼却場を造ると言う事は、将来の地域構想の一部である。一市3町の将来的街づくりの都市計画に基づかなくては、禍根を残す。そうしたことを一切せず、ただ、焼却炉は小田原の考えは、ごみの多いい所で、燃やすための輸送コストがかからない、こういう運転資金の一面からだけ見ているに過ぎない。この浅はかな推測だって、小田原が生ごみの焼却を止め、堆肥化となれば、一気に事情は変わってくる。

ともかく行わなければならないのは、将来の地域計画。その上でのごみ処理法の将来変化まで推測した、処理法の模索。次の時代は、ごみは資源として高度処理されるようになる。何年先かになるかは別にして、この流れは大きくは違わないだろう。と言う事は、ごみの焼却処理は工業的産業と見ておいたほうが良い。よって、工業地域に置く事が本来である。これからのごみは、処理リスクが高まる。一種の化学工場となって行くだろう。山林地帯、農業地帯、住宅地帯、商業地域、こういうところに置くようなものでなくなる。地形的に言えば、できるだけ下流域に作るべきものだ。本来なら臨海地帯。舟による輸送がコスト的にこれからの主流になる。しかし、現実には既にある、「久野諏訪の原」を有力と考える向きもあるが、全く将来に対する見識のない考えである。仕方がない。止む得ない。新しい所に迷惑施設など、とんでもない。こう言うことで、迷惑施設は経済合理性とは別のベクトルで、作られることが多い。

久野で暮す者はこのことを真剣に考える、大きな機会が巡ってきた。久野は堆肥化施設を引き受ける。こう考えるのが、一番いいと個人的には考えている。久野の将来は農業地域である。里地里山地域である。堆肥は利用量の多いい所で生産することに合理性がある。堆肥なら、農家自身の監視も頻繁に行う必要がある。農家が納得できないものは利用がすすまない。堆肥生産には臭いの問題が必ず伴う。剪定枝も久野は多く出る地域である。これも併せて処理できる。久野の堆肥場は経済合理性がある。現在の小田原市の焼却場のある場所に、堆肥場を作る。そして、焼却炉は別に考える。生ごみを含まない焼却炉なら、現在の箱根の物でも、しばらくは足りるくらいだ。臭いものにはかかわらない。それを、身の得と考えているとしたら大間違いである。

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