議員が賛否表明を出来ない
議会運営委員会で、「議員個人の議決結果の公開を求める」陳情の審議を行いました。議会運営委員会は、委員長(公明党の堀村委員)とほかに6人。でも今日は、社民党の青木さんが欠席で5人でした。檜山議員と木村議員(フォーラム市民ネット)と、田中議員(共産党)の3人が、公開は時の流れであり当然と賛成。大村議員(グループ相和)・鈴木議員(至誠)が、小田原市議会はすでに開かれているので、そこまでの必要はないと反対。青木議員(社民党)の代理で出席した井原議員も態度表明は反対でした。(以上ある方から報告を戴いた。)
まさかという結果だった。同様の陳情は以前も行われている。又驚くべき結果になった。なんと言う旧態依然とした、小田原市議会であろうことよ。自分の意見が公開されることを避けたい、と言う意識はどの辺にあるのだろう。議員の議会での行動は公務であり、公開されない部分があること自体が、理解しがたい。それでもこれにはこれで理由はあるらしい。賛否の結果だけが伝えられることは、正しい議論が行われることを妨げる。確かそんなことだった。賛否でことが全て決まるのが、議会制民主主義である。ここで言う正しい話し合いと言うのは、さじ加減のようなものを意味するのだろうか。とくに大村議員は市民派を表明していなかったか。どう言う事なのだろう。青木議員の社民党と言うのは、一体あの社民党なのか。社民党本部に問い合わせてみたい。「あぁー小田原よどこに行く。」
議会に傍聴に行くと、ここで行われている話し合いは、確かにすんなり理解できる話は少ない。用語も市議会用語のようなものが存在して、市民の生活感覚の議論がされているとは思えない。市議会のネット中継をよく聞いているものとしては、失礼ながら、議論そのものが、市民生活実感を反映した、普通の話し合いにして欲しいとつくづく思っている。議論様式自体が、独特のルールのようなものが例えば、一問一答では無いようだ。回答者も指名できないようだ。質問者も大半が意見表明に終始している。朗々と演説を繰り返す人が少なくない。理念の表明が多い。議会という場で、自説を主張するのも良いが、具体的にこのことを、こう変える。そうした市民生活直結の具体的事物、問題が少しでもいい方向に変わるよう、その実現を目指してもらいたい。そして肝心の賛否は、傍聴に行ってもハッキリしないようにできている。
「日本農業はどうあるべきか。」これを述べるのもかまわないが。あそこの農道は、こうじゃないか。この辺に公共の堆肥場が必要じゃないか。レモンの今後の展開には、このことが必要だ。茶業には、こう言うプランが必要じゃないか。新規就農者対応にはどうする。農家の暮らしに繋がっている、具体的な議論の積み上げを期待したい。それに対する各議員の賛否は当然知りたい。知る権利も市民にある。知らなければ投票が出来ない。自分としては不本意な賛否の議員に、投票してしまうかもしれない。それらの背景にあるものは、市民への信頼感が成立していないのだろう。市民が成熟していれば問題は無いが、市民は利己的な、目先の利益を主張するものだ。こう言う認識が背景に、存在しているように思う。市民を尊重する、市政。これを否定する市会議員は居ない。とくに選挙のときだけは、市民は奉られ、尊重していただける。
<19日の議会運営委員会で「継続審査」となり、25日に本会議にかけられることはなくなりました。
賛成は、木村信市・檜山智子・田中利恵子 各議員
反対は、鈴木美伸・大村学 各議員
欠席 青木正光議員
議長が、3対2という拮抗した状態なので継続審査にしたらどうかと提案し、そのようになりました。25日に全議員の判断を聞きたかったのですが残念です。
しかし、傍聴に大勢の方が来てくださり、議員にはこの問題に対する市民の関心の高さはしっかりと伝わったと思います。
以上は陳情のため奔走されていた。Kさんからの報告である。短い言葉の中に、無念の思いがにじんでいると思う。ここにあるとおり、こうした賛否が判るのが困るのだろう。