里地里山・行政の考え方
里地里山の保全に対する、県の考え方を示してくれる事を2月にお願いした、その返事が一昨日にやっと来た。近年、地域住民や市民活動団体などが、県内各地で里地里山に関するさまざまな取り組みが行われており、久野地域においても同じような活動が行われていると考えております。 そこで、県としても里地里山が農林業の場であると同時に、良好な景観形成など多面的な機能も発揮しているため、地域住民など多くの方々による取り組みを通じて、少しでも健康で心豊かな生活の確保を目指した支援策であると考えております。以上だ。これが県の方向性(考え方)だそうだ。分かったような、分からないような。でなく、全く内容がない。文章としても意味不明。
ちょっと不安になってしまった。この先これで大丈夫なのだろうか。話を何度聞いても意味が分からない。言葉が理解できない。そこで文章で戴けば少しは考え方が分かると思ったのだが。ますます、県が何故里地里山の保全をすべきと考えているのか。どんな手順でやろうとしているのか。県の役割、市民の役割、をどう考えているのか。理解不能だ。ワザとなのだろうか。行政の役割を明確にすると、やらなければならない仕事が出て来てしまうので、避けたいのだろうか。5月18日に7回目の勉強会があるが、これには出席しない。行政の考え方が、上記のように通り一遍というか、どうでもいいようなものとしか思えない。それを中心なって行えと言われて、実際に動く、すでに動いている市民の立場は、どうなるのだろう。
「里地里山が荒れる一方だ。これを何とかしなくてはならない。」この認識すら、本当に一致できているのだろう。もし、ここが一致できているのなら、先ず、荒れている理由を確認しなくては、次の方策が立てられない。里地で暮す人達も、里山を利用し、整備してゆくような暮らしを行えなくなった。里地での農業経営が困難に成っている。林業も困難になっている。当然後継者がいない。その結果、里地里山が、建設残土の捨て場や、廃棄物の処理場や、建設資材置き場や、無計画な住宅開発等で、混乱している。里地での暮らしを可能にする事、これが里山の再生の道だ。この考えが行政は厭なのだろう。たぶん、市民ボランティアが草刈をする。山道の整備をする。ゴミ拾いをする。この範囲にしたいと思っているのだろう。しかし、そんなことで里山が再生できる訳がないことは、薄々知っている。
そこで、上記のような訳の分からない言い回しで、行政言葉でお茶を濁そうとしているのではないだろうか。行政がやるべきことは里山地域に於いて、里山を保全できる法的な整理することが、第一の役割だ。新しく法を作るだけでないく、様々すでに出来ている法の枠のどれが、久野に適合するのか。利用できるのか。先ず、情報を集め研究する仕事だ。勉強会を7回、見学会もやりました。発表会もやりました。何かこれで仕事をしているようにみえると思っているらしいが、全く今のところ意味在る仕事はしていない。「やるのは住民だ。」事あるごとに言うのだが、行政が発言すべきことではない。行政は自分が何をすればいいか、何を出来るかを本気で考えればいい。そしてそれを行って示してくれればいい。皆優しいから、行政職員が仕事をしているように、見えるようにしてあげなければいけないなど、配慮して付き合っているのではないだろうか。