何故日本が投資先になるのか。

日本の土地はアジアの富裕層の投機先になっている。これは素晴しいことなのだ。何で問題にするのか不思議で成らない。日本人ファーストで外国人が買えないようにするなどとんでもないことだ。もし、外国人が買わないようになったときの方が、悪い予兆だと思う。
何故外国人が日本を買うのだろう。円が安いと言うのが一番の理由である。まだまだ安いと感じるのだろう。安いにもかかわらず、日本の土地やマンションは安定資産であり、まだ値上がりするとみてくれている。日本の不動産買いは比較的安全資産なのだろう。
台湾の人が一番日本のマンションを買う等らしい。次が中国人である。近隣諸国からそう思われているのは実に素晴しいことだ。台湾や中国の富裕層が日本で不動産を購入する理由は、台湾や中国の不動産が、日本より高いからだと思う。台北では家賃やマンション価格は日本よりかなり高いと感じる。円安のせいかもしれない。
円安の現状では、日本の不動産の方が割安に感じられるのだろう。一方中国人が日本の不動産購入を続ける理由は、中国の不動産がバブル崩壊で、投資物件としては、期待できる物件が少ないからだろう。投資で資産を築いた中国人がさらに資産を増やしたいので、中国よりは安全な投資先として日本を選んでいる。
中国は共産主義国家である。土地は国のもので、使用権しか買うことが出来ない。これもまたおかしなことではある。商業主義の共産主義国家。日本で言えば定期借地権付き不動産と言うことになる。しかも、独裁政治だから、突然取り上げられたとしても何も言えない。資産としての安定性が弱いのだ。
台湾の場合、やはり中国からの侵攻の恐れがあるから、資産を日本に分散しておきたいという気持ちがあるのではないか。九州より少し小さな地域に2300万人が暮らしている。人口密度が高いために不動産価格が高くなると言うこともあるのかもしれない。
中国場合、政府に要注意人物とされた場合、中国から逃げ出す必要がある。すでに多数の富裕層が海外に出ている。中国人は政府に対して常に疑心暗鬼である。何があったとしても、一族の永続性を願うという気持ちが、とても強い。
そしてもう一つがやはり円安が大きな要因である。感覚として何でも日本で買えば、中国の2,3割引と言う感覚らしい。1000円の化粧品が700円なら安く感じるのだろう。私も昔中国に行くと、印鑑や筆や硯が安いので、ずいぶん買わせて貰った。今も使っている。
中国は独裁の国だ。何時富裕層の締め付けが起こるか分からない。ヘタをすれば牢獄に入れられる可能性すらある。特に共同富裕の習近平である。いつでも脱出先を用意したいというのは、中国人らしい天秤にかける思想である。その意味で日本は何時の時代も逃げ場になってきた国だ。
水源地が買われるから不安だとか言うが、すでに水源地の土地は外国人には買いにくい。さらに法律を変えれば完全に止められる。しかし、何故サントリーがが中国に名水なら売れるというので、富士山の湧き水のある土地を購入して、ミネラルウォーターの会社を作り販売を始めた場合どうなるか。産業ではないか。
評価されて、土地が購入される。悪いこととはされないはずだ。ありがたい産業になっているのではないか。別段何も困りはしない。ただし、水源の場合くみ上げ量については、日本の企業でも中国の企業でも同じことで、法規制がある。
日本人ファーストの人たちの煽りで、中国人が何から何まで買い漁るので、不安だと煽り立てている。その理由が怪しい。むしろ日本のためには感謝すべきだと思っている。それだけ海外からの資本が日本に投入されているのだ。普通の国は外国からの投資は歓迎だ。
右寄りの方々は、どんな中国人の行動も、中国敵視を煽ることに繋げようとする。国防の増強に軍事費の拡大に繋げたいと考えて居る。こちらの方がよほどおかしい。原発周辺の土地を海外の人が買うと危険だと言うが、そもそも原発のそばは危険だから買う人など居ない。
日本がというか、日本人が停滞しているから、外国人投資が怖いのだ。外国人の富裕層に貧乏になった日本人が負けてしまう姿と重なるのだろう。日本は豊かな国である。だから外国人が購入したくなるのだ。日本人こそ日本を見直さなければならない。それが日本ファーストだ。
日本は確かに自然災害が頻繁に起こる国である。大地震は歴史上何度も起きている。大きな台風も毎年来る。土砂災害も頻繁に起きている。滅亡するような大噴火も何度も起きたのだ。今もそうした大災害が近く起こるだろうと予測されている。それでも日本の不動産が投資対象になっている。
そうした大災害を日本は乗り越えると、世界から見られているからだろう。誇りを持って良いはずだ。日本人の豊かさは想像力、創造力である。芸術文化に優れたものを残してきた。平安の絵巻物であり、現代のアニメーションである。
日本人の資質で最も誇るべきものは、未知の世界を切り開く想像力だったのではないか。縄文の土偶であり、宗達の自由な絵画。浮世絵の変幻自在。もう一度日本人は創造性を、研鑽し向上させる道を探求すべきなのではないか。それは日本の豊かな自然から学ぶと言うことだと思う。
四季があり、多様な自然の変化がある。厳しい自然の中で、農業を営み徹底した自給生活を自然と関係の中で循環させてきた。農業は自然の観察である。その暮らしに人間の幸せを育てようとしてきた。やはり江戸時代の暮らしをもう一度見直すことが、日本人の自信を取り戻すことになるのではないだろうか。
もう一つ大切なことは、競争主義をどのように克服するかを考えることだ。外国人の暮らしと日本人の暮らしを比較して嘆くことはない。日本人が日本列島に豊かに暮らすことが出来る幸せを、もう一度考えてみることが、日本人の自信の回復になるはずだ。
農業をやってみれば分かる。日本の自然ほど耕しがいのある土地はないと思う。日本の自然と折り合い、生きて行く幸せを模索して行く。それが日本人の創造力を培うことに必ず成るはずだ。日本人が創り出してきた芸術文化が、資本主義の次の時代の生き方を示している。
日本の人口減少は、社会不安である。もっと貧困な江戸時代でも、明治時代でも人口は増加をしてきた。社会が不安の原因は競争社会である。能力主義社会である。能力がある人も、何時追い抜かれるか分からないような不安定な暮らしを強いられる。能力のない人は、下層階級から抜け出すことが出来ない。
シンガポールが先行して経験していることだ。外国人を入れて、経済成長を望んだところで、幸せな暮らしは遠のいて行くばかりである。まずは自分の幸せの根源は、自分成りに生きることで、創造性を育むことが出来る暮らしである。それは自然と一体になって生きることだ。経済の豊かさではない。
自然から学ぶことが、創造性を生み出す。教育に作務教育を取り入れることだ。人間にとって何が大切かを教育が教えることが出来れば、未来が見えにくい時代の中で、自分の安心立命が出来るはずだ。日本人の宗教は日本の自然だったのだろう。つい最近まで自然信仰が残っていた珍しい国なのだ。
山を敬い。海に願う。日々の暮らしを大切にする。そして足るを知る。競争から離れて、自分の今日を充実する。日本という豊かな国は、100坪の土地で、1日一時間働けば食の自給は可能だ。この原点に戻れば何も怖くはない。