石と泥で作るカマド
のぼたん農園でカマドを作っている。まだ、途中なので上手く出来ているのかどうかは分からない。石集めに1日かかった。写真の段階までもう一日である。火入れをして、煮炊きをして見ないと使えるのかどうかも分からない。焚き火好きだから、竃も当然好きだ。作ろうと思いながら、延び延びになっていた。
のぼたん農園には至る所に大きな石が落ちている。この石を集めてカマドを作れないかと以前から考えて居た。カマドを作りたいのは、カマド炊きのご飯を食べたいと言うのもあるが、火を燃やしたいと言うことが大きい。火を燃やすという意味では焚き火の場所作りがしたいと言うことがある。
子供の頃、向昌院では子供にもそれなりの仕事が割り当てられていて、私は風呂焚担当きだった。この役目はいつの間にか自分の仕事だと思い、工夫をしながらやっていた。小学校3年生くらいからだと思う。好きでやらして貰っている間に、それなら係として、風呂焚き全部をやれと言うことになった。
まず風呂焚きのための薪集めである。風呂を焚くより、薪集めのほう画家なり大変だったが、これも面白いことだった。ふ風呂を焚くような薪は悪い生木の雑木で良いと言うことで、薪小屋の蒔きは使わないことになっている。その都度、山から倒木などを引き下ろしてきて風呂を焚くことになっていた。
その薪の準備からすでに面白くて、買って出てやっていたわけだ。のこぎりを使うと言うだけで、面白くて仕方が無かった。興味ぶかい材もあって、古い野ばらのカブツを採り、根からパイプ作りをしたこともあった。お寺の周りにはいくらでも、風呂焚きに使える木は落ちていた。燃料を探し歩くだけでも、面白いことだった。
しかし、水くみもやれと言われたのだが、これはサボりがちだった。子供には正直大変すぎたのだと思う。風呂の水をすべて入れ替えるとなると、大きなバケツで30杯ぐらいは必要であった。やっと持てるぐらいのバケツを、30m位の距離を風呂まで運ぶことになる。1人でやれば、2時間は優にかかる仕事だった。
だから水替えはなかなかやらないで炊いていた。それでも誰も文句を言わないでくれた。みんな水替えの苦労は分かっていたからだと思う。そもそも子供1人でやれる仕事のはずも無かった。蒔き集めは準備がよく進めていて、いつでも2,3日分の薪は風呂の、もしき置き場に積んで置いた。
毎日風呂を焚いている内に、風呂焚き名人になった。おだてられ名人では無い。薪で焚く風呂は暖まると、おじいさんからいつも言われていた。何で炊いても水に変わりはないから、そんなに違いがあるはずは無いと思っていたが、褒められているような感じもしたので、ますます熱心に風呂焚き係を務めた。
子供を働かせては成らないという、児童労働の禁止というようなことが最近は言われるが、学校へ行くよりも、家で何か仕事らしき物をしている方が、ずっと好きだった。畑仕事も好きな方だった。みんな必死に働いていたから、子供でも役に立ちたかったのだ。それでもお寺の庭の草取りは大嫌いだった。ただの根気仕事はいまでも出来ない。
風呂焚きの思い出があるから、焚き火好きになったに違いが無い。確か日本焚き火学会と言う会があったはずだ。今もあるのだろうかと思い調べると確かにまだあるらしい。この会は勝手に世話人とか名乗っても良いとなっているので、私も世話人の1人ぐらいの気分で居ることにする。
野田知佑さんという方が居た。エッセイストと言うのだろうか。カヌーのことを良く書かれていたので、名前を知った。椎名誠さんと親友だった。その椎名さんが焚き火のエッセイを良く書いていた。野田さんと焚き火を囲む、素晴らしく楽しげな様子がいつも目に浮かんだ。焚き火が生み出す夜の世界の面白さを教えられた。
焚き火は人間の原始を思い出させるのだと思う。火を知り、火を使えることで、人間は自然から身を守るすべを知ることになる。子供の頃に焚き火をやったことのある人間でなければ、自然の中で生きる魅力を考えることが出来ないのだと思う。自給生活の原点は焚き火である。
焚き火をたいてみれば、その人の自然能力はすぐに見える。焚き火は自然に生きる総合力を現わしている。観察力。想像力。耐久力。瞑想力。焚き火を囲み心を解放する。このことが出来なければ、そもそも人と一緒に活動することは出来ない。焚き火を囲むことで、人の本音を引き出す。そして仲間になる。
不老山の奥で田んぼをやったことがある。その田んぼで焚き火を囲み年寄りの話を聞く集まりを何度かした。人工的な物音が一切しない場所で、明かり一つ無い場所で、大きな焚き火をした。みんな焚き火に酔った。みんなの本音が出た。こうした体験が人間には必要だと言うことが分かった。
久野に作った縄文の家では時々火を囲む集まりをした。久野々昔のことを小田原の史談会のかたに聞かせていただいた。昔を思い出して、楽しかったなどと言うのは年寄りのようで嫌だが、年寄りなのだから仕方が無い。これをのぼたん農園でも、星を見ながらやりたいのだ。そう考えてカマドを作っている。
檜枝岐のまたぎは土砂降りの雨の中でも、焚き火が出来ると父に教えられた。父は友達だった星ダン吉さんという方から聞いたと言った。もう100年前の話である。何度か試したが出来たことは無かった。その秘密は今でも分からないが水浸しになっても燃える木があると言うことらしかった。松明だろうか。クロモジだと書いてある。焚き火学会に問い合わせてみるか。
久野の里地里山協議会では、毎年小田原植木さんの森で、子供達のイベントを開催している。私はここで焚き火係になり、大きな焚き火をやった。焚き火をやったことのない子供達に、燃えさかる焚き火を見せてあげたかった。薪は困るほどあったので、盛大な焚き火が出来た。
しかし、焚き火が条例で禁止される世の中になった。ただの焚き火をしていると、警察に捕まる時代なのだ。暮らしが否定されたつまらない時代だ。そこで考えたのが竃である。カマドでなら、どんなに盛大に火を燃やしていても、あくまで調理のためであり、警察に捕まることが無いだろう。
人間の生きる力が失われて行く時代である。これをどうにかしたいというのが、のぼたん農園である。今の子供は焚き火などしたことも無い。キャンプ場だって焚き火禁止だ。「落ち葉焚き」は童謡にも出てくる。しかし、今時公園で落ち葉焚きをする人は居ないだろう。
ともかくややこしいことの多い最近の暮らし。小田原で焚き火をして怒鳴られたことがあった。その人はよく畑でゴミを燃やしているので、何故あなたは良いのかと聞いたら、何と自分は燃やして良いが、お前はダメだと言うことだった。この違いがきっと、どこかにある訳だが、何となく分かる。よそ者は焚き火をしないことになっている。
焚き火が出来るような暮らしをしたものだ。カマドで燃やすのであれば、安全だろう。今作っているカマドはまだ見た目が悪い。もぅッと美しいカマドにしたい。炎がカマド石を焦がして、一つの造形になるようなカマドにしたい。もう一度積み直すことにするか。
燃料はのぼたん農園に沢山あるギンネムがいい。コーヒー園の整備をしながら、ギンネムのもしきを集めたいと思う。ギンネムならいくら切っても再生してくる。燃料としては素晴らしい木だ。3年で10mの高さになるそうだ。枝打ち材で充分の燃料になるはずだ。