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笹村 出-自給農業の記録-

努力すること

   

 

人間は努力をする。それは修行をすることだと思う。別に偉そうな意味では無く、人間はご飯を食べる。人間は遊びをする。そういうことと同じ意味で人間は本能的と言ってもいいように、修行をする。原始人の時代であっても、あの山の向こうまで走って行き、帰って来るというような成人の儀式が行われていた。

努力をしなければ、人間は生き残れなかったために、様々な訓練を編み出したのだろう。記憶力の訓練もあれば、運動能力の訓練もある。見分ける能力も高く無ければ、すぐに死んでしまっただろう。西表にはイノシシを捕まえてきて一人前という成人儀式があったらしい。第六感というような感じる力を磨くと言うこともあったのだろう。

どの民族でも努力の形として修行が行われている。人間はコンピュター革命の時代になっても、修行をしている。何故苦しい努力である修行を自分に課すのだろうか。人それぞれに修行の目的は違うのだろうが、人は産まれてきて死ぬまでと言う、時間制限の中で、自分というものを十二分に生きたいと考えるのでは無いだろうか。

私は毎朝動禅を行う。おおよそ25分ぐらいかかるものだ。これは努力と言うよりも、本当は準備体操というようなものだ。一日を健康に暮らすために必要な準備運動になる。農業をしていると多くの人が腰を痛める。農作業には腰に負担をかける「こごむ」ような態勢が多いからだ。

長時間半分座るような態勢で草取りをする。田植をする。稲刈りをする。土起こしをする。収穫をする。どの作業も地べたに向かい合う仕事だから、どうしても態勢が地面に近くなり、腰を曲げる時間が長くなる。そのため熱心な人であればあるほど、まず間違いなく腰を痛める。老農は腰曲がりになる。

だから、準備体操が必要になる。腰を強化する体操が必要になる。何度も腰が危うくなったが、今まで腰が痛くて仕事が出来ないと言うことは無かった。幸いなことに76歳の今でも、それなりに人並みに農作業が出来ている。あと6年間はどうしても農作業が出来なければ、のぼたん農園の夢の計画も実現が出来ない。

そこで、この努力を動禅体操と付けて修行だと思うことにした。出来ればやらないでさぼりたい。今朝もこれを書き終えたらやらなければならないと思うと、少しだけ気が重い。気が重いからこれを動禅と名付けて、修行と位置づけている。私が日々やることの中で、やりたくないのに頑張ってやるのは、この25分だけだろう。

じだらくものであるので、好きなこと以外はやらないで生きてきた。幸いなことに嫌なことはやらないで、ここまで生きてくることが出来た。我慢すると言うことはまず無い。それなのに、朝の動禅体操だけは気が重く、我慢してやっている。だからこの努力を修行と名付けている。

それでも、おおよそ毎朝、何十年とやっている。その恩恵で今日も農作業が人並みに出来るのだと思う。この体操をもったいぶって動禅と名前を付けたのも、継続するためである。ただの腰強化体操では有り難みが少し足りないわけだ。もったいぶらなければ、今まで継続できていないのだから仕方が無い。

修行としての動禅。そうである以上半眼である。目をたとえ開けていたとしても見ないと言うのが半眼。視覚を機能させない状態で行う。これはなかなか難しいので、25分間目を閉じて行っている。目を閉じることで自分の精神と向かい合うことが少しだけ出来る。

座禅のように、全面的なものでは無く、少しだけであるが。そもそも座禅など実に不健康なものだ。只管打坐では寿命は短いことだろう。道元禅師は享年53歳である。それでも老僧である。寿命を待ったうして、長生きすることも人間の役目だと思っている。

動禅は無念無想で行う。脳を働かせないようにできるだけする。そんなことは人間には出来ないから、脳の動きに逆らわず従う。脳に浮かぶもののままにして、それを追わない。禅宗の僧侶の端くれであるのだから、本来の修行は只管打坐である。ところが只管打坐が出来ないので、乞食禅としての動禅を行っていることになる。

情けない、残念なことだとは思うのだが、自分の器に合わせて生きるほか無い。ダメな自分を受け入れて生きる以外に、自分らしく生きることはできない。それでもいくらかでもやらないよりは増しだという、いささか情けない生き方なのだ。本音では情けないのが人間本来はこうだと考えて居る。

動禅の中心になる動きは、腰のインナーマッスルの強化である。どうやって内臓脂肪を取り除くか体操と考えてもいい。お腹の中を囲んでいる筋肉を強化する動きである。それには体の中の筋肉を活用しなければならない。スクワットという体操があるが、反スクワット体操である。

スクワットは腰を取り巻くアウターマッスルの強化である。見事に腹筋が割れたなどと喜んで見せびらかしている人も居る。しかし、そんな筋力の強化では、私の腰痛は防げない。そうした筋トレは年寄りの場合、身体を壊しかねない。私の腰を守っているのは、お腹の中にある、内側の筋肉である。体幹を支える深層の筋肉を鍛えることが重要になる。

体幹深層筋群(腹横筋、多裂筋、骨盤底筋群)を鍛えることで姿勢保持の向上、腰痛の軽減が期待できる。脊柱変形による痛みに対しての運動療法や腰痛予防になる。ではどう言う動きが実際効果があるかである。実は腹式呼吸が出来れば、それだけでお腹の中の筋肉は十分強化が出来るものなのだ。

しかし、腹式呼吸は案外に困難なものなのだ。腹式呼吸も様々名やり方がある。基本はお腹で呼吸をする気持ちだ。息を強制的に吐き、お腹を凹(へこ)ませて腹圧を高める。お腹を凹ませた状態で呼吸しながらその状態を維持する。またその逆に、息を吐きながらお腹を膨らませ。息をお腹で吸い込むような気持ちでお腹をへこませて行く。

要するに、呼吸に合わせてお腹の中の筋肉を使うと言うことになる。呼吸に合わせてだから、日常何万回も行うことになる。深い腹式呼吸が日常の呼吸に取り入れられれば、もうそれだけで十分と言えるわけだが、これが実は出来ない。出来るようになるためには修行が居る。

動禅体操を行う際は腹式呼吸を意識して行う。具体的に簡単に示しておけば、5つの動きで出来ている。そうこの動きは私の生活に従って生まれたもので、他の人に役立つのかどうかは分からない。またこの動きは独房に入れられたときでも出来るもので、肩幅に広げた足幅で、軽く腰かけたような形で行う。

腰かけているが腰の上に身体は垂直に載せられている状態。そして、腰に乗っている上半身を静かにお腹の中の筋肉を意識しながら、回転させて行く。そのとき両手は肩の高さにして伸ばす。手は勢いを付けるのでは無く、腰の回転の動きについて行く。できる限りゆっくりである。

このゆっくりした動きに合わせるように腹式呼吸を行う。はきながら一回転。吸いながら一回転という感じで行う。身体は真後ろを向き、また反対の真後ろまで回る。このときに、筋力を使うとか、腕の動きで身体を引っ張ると言うことは無い。あくまでお腹の中の筋肉が身体を動かしていることを確認する。

往復して一回と数えれば一〇〇往復する。できるだけゆっくり動くことが出来れば、15分ぐらいかかるはずだ。この第一だけで終わってもいいぐらいだが、あと4つの動きがある。それは自分の身体におかしなことがあるたびに、強化の貯めに新しい動きを加えていった。そして今5つになった。今に八段錦になるのかもしれないが、これ以上長くなるのも困るが。

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