小さな自給のためのイネ作り

この文章は今度石垣島で自給のための小さな田んぼの話をさせて貰うことになりました。その資料をかねて作りました。日程が決まりましたら、又ブログに書きますので、興味のある方はどうぞいらして下さい。
100㎡の面積で人一人のお米は自給できる。55キロである。機械を使わずに一人の力で可能なことだ。その実践をこのブログ「地場・旬・自給」の小さな田んぼイネ作りのタグの中に、細かく書いてある。もちろん本「小さな田んぼのイネ作り」の中にはさらに細かく書いてある。一人でも多くの方にやってみて貰いたいと思っている。
10メートル×10メートルの田んぼの中に30c㎡に1本にイネを植える。ほぼ1千本のイネが植えられる。1株のイネに55グラムのお米が実れば良い。これで55キロのお米になり、日本人が今食べている一年のお米の量になる。
1粒のお米が一杯のご飯になる。それが1000杯のご飯になり、今の日本人のご飯を食べる量になる。
稲一株をもう少し細かく見て行くと、1粒の種籾で1本の苗が出来る。この苗を30センチ角で植えて行くと、一株は成長しながら分ゲツをして、おおよそ20本の稲穂が出来る。一つの稲穂には120粒のお米が実る。つまり、2400粒のお米が一株から収穫できることになる。
お米一粒は0.022g 。一つの稲穂は約26グラムある。20の穂があるから50グラム。これはお茶碗一杯の量になる。3倍食べれば、1合に成るが今そんなに食べる日本人はまずいない。一年に1000杯のごはんを食べることが出来る。これが平均的な日本人が食べているご飯の量になる。
一人で100㎡の田んぼをやるのも良いだろう。家族3人なら、300㎡の田んぼをやることになるだろう。一つの家族が300㎡、100坪の田んぼをやれば、家族3人がお米は収穫できると言うことである。100㎡はほぼ1畝である。300㎡3畝の田んぼと言うことになる。
この田んぼの周りには土の畦がある。この畦を広めに取ると田んぼの水管理が楽になる。広い畦に大豆を植える。すると、この大豆で、1家族の味噌醤油納豆が作れる。畦くろ豆と言って、一番大豆の作りやすい形である。裏作で小麦を作れば、パンもうどんも食べることが出来るだろう。
人間は食べ物の自給が出来れば、まずの安心立命が出来る。生き方に余裕が出来る。家族ともども1000㎡の面積で人間は生きて行くことが出来る。今の時代収入がない小さな自給生活であれば、税金もかからない。江戸時代よりも随分楽な暮らしが実現できる。
1000㎡の面積に家と畑と田んぼで暮らすことは、今の時代何とかなる。私の場合は最初はヨド物置をホームセンターで買って届けて貰って、その中で寝泊まりして開墾生活を始めた。山の中の隣の家もない場所で、駅から歩いて1時間もかかる場所で、車もなく暮らしを始めた。
最初は水もなかったので、水は駅で汲ませて貰って、担いで山を登った。斜面にブルーシートを貼り、その下に大きなポリバケツを置いて、水を溜めた。こうしてシャベル1本で人間は自給が可能なものかの実証実験を開始した。
そして、杉の木を一本づつ切り倒し畑と田んぼを作った。周りにあった地境の防風林の檜を切って、3坪の最小限の家をセルフビルドで作ったこともある。そして鶏を飼った。子供の頃から鶏が好きだったのだ。鶏が飼いたくて山の中に暮らしたというのが半分である。
ほぼ3年目には自給生活が可能であることが見えてきた。意図したことではなかったのだが、卵を売ってくれないかという人が、山の中まで来るようになった。そこで養鶏業で生計を立てることにして、それが可能になったところで学校の教師を辞めた。
学校を辞めるまでの間は山の中から、週3日だけ東京の世田谷学園の美術の講師として通っていた。東京で2泊だけして学校に務める生活であった。先日なくなった、柔道家の古賀選手や演出家の三谷幸喜さんを教えた事があるはずである。
自分一人の自給生活が可能なことが分かった。計算してみるとあしがら平野の農地の面積で、そこに暮らしている人が自給できることが分かった。それからは、みんなの自給を考えるようになった。一人で田んぼをやるより、10人でやる方が、楽だし、楽しい。
一人で働くと自給のためにかかる時間は1日2時間になる。これは10年間毎日記録した実践結果である。しかし、それがみんなでやる自給になると半分の1時間になることが分かった。やってみれば、食糧の自給は難しいことではないのだ。
それがもう三〇年前になる、あしがら農の会の始まりである。石垣島に引っ越してしまって2年半になるが、私が小田原にいた頃より以上に熱心に盛んに活動を続けている。わたしも今でもいくらか活動に加えて貰っている。
今年は田んぼ1反5畝を復田している。小田原では耕作放棄地が年々増えている。農業者の平均年齢が70歳である。大規模農家がやれるような農地はまだ良いのだが、中山間地の棚田や導入路のないような田んぼは、荒れるままになっている。こうした、条件不利な農地の担い手が、あしがら農の会のような、自給目的の活動になっている。
あしがら農の会は「地場・旬・自給」を掲げて活動をしてきた。地域主義である。もしその土地に有機農産物がないとするなら、地元の慣行農業の農産物を食べるべきと考えてきた。そうでなければ、地域の農業が失われ、農地が荒れることになる。それはその場所で暮らすすべての人にとって良くないことになる。
あしがら農の会からは毎年、新規就農する人が現われる。だから、もう30人以上の人が農家になったと言うことである。最初は自給で始めるとしても次第に、専業農家を目指す人が現われた。こうして、新規就農者と市民の自給農業の合わさる形で活動を続けている。
延べ人数で200名くらいの人が活動をしている。活動は様々に重複をしている。田んぼの会、大豆の会、麦の会、ジャガイモの会、玉ネギの会、お茶の会、有機農業塾。と様々な会がそれぞれ独立して運営されている。
田んぼの会では個人田んぼから、20家族もいる田んぼまで色々あるが、苗床で5葉期の分ゲツの始まった稲を1本植えにすることが基本の技術となっている。大きな苗を植えることで、初期から深水に出来る。雑草が抑えられる。大きな太い稲になる。
コロガシを多く入れることが除草だけでなく田んぼの土をよくして多収に繋がる。ほぼ反収10俵の畝取りを10年は達成している。有機農業では一般の農業よりも収量が低くて当たり前とされるが、そんなことはあるはずがない。有機農業は生物の整理にかなう農業である。収量は多くて当たり前である。
そのことを実践として示さなければ、有機農業が普及することもない。稲の生理にしたがい、稲の力を生かすことが出来れば、農薬や化学肥料を使う農業よりも、収量は当然多くなる。ただ、手間がかかる。この手間がかかるところをみんなでやる農業は克服できるから、すばらしいのだ。
五葉期の苗を手植えするのが、稲にとって一番良いのは当然である。しかし、大規模農業ではそういうことが不可能である。深水の方が収量が増えるのは当然のことであるが、畦の管理などこまめな水管理が難しくなるために、やはり大規模農業では難しいことになる。
5葉期で田植えをすれば、ジャンボタニシの害もほとんどない。同時にカモになぎ倒される被害もなくなる。分ゲツの始まった五葉期の大苗なら、田植えをしたその日に、根付くことになる。
田んぼの水管理していたときは1日3回も田んぼに行ってしまう。田んぼにテントを張って暮らしていたいぐらいになる。稲一株ごとに名札を付けたいぐらいの気持ちになる。小田原での稲は毎週1枚の葉を出す。田植えをするのは種まきから五週目の5枚目の葉の時である。そして15週で15枚目の止葉となり穂を付ける。
たぶん石垣ではもっと早く成長するのだろう。6日で一葉ぐらいかもしれない。