小田原から金沢回りで石垣に戻る
奥の色づいている田んぼが柿の下田んぼだ。18日19日が稲刈りの予定だ。早稲のハルミを作っている。その為に最初に実っている。手前は中生のサトジマンである。手前の田んぼはヌマッタだ。いつも水が湧いて居て固まらない。背の高い草は無くならないマコモタケ。
全体に見てそこそことれていると考えていいだろう。直播をしたところもなかなかの出来だ。直播の実証実験は石垣島のぼたん農園でも成功した。小田原でも成功した。来年は直蒔き農法をもう少し広げて本格稼働したい。自然農法であるなら、直播が本来である。
特に石垣島では稲の小さい初期段階の風の被害を無くすことが出来る。田植えをして、1週間ぐらいのあだに20mぐらいの風に当たると、イネは白化してしまう。風で水分が吸い取られ、根から給水できない稲は枯れてしまう。
今回の小田原生活は、溜池の草刈り。柿の下の稲刈り。そして水彩人展の開催。とくにパソコンの仕事の作業の流れの完成。軽トラダンプとフレールモアの石垣への搬送。金沢で久しぶりに絵を描き、大学の美術部の同窓会に参加させてもらう。
いつもあれもこれもで実におもしろい。元気でこんな暮らしが出来るのは有難いことだ。いつまでできるかわからないのだから、今を大切にしてできる限りのことをしたいと思う。ともかく昔絵を描いたところをもう一度描いてみたい。どう見えるのかである。
おおよそ一ヵ月の小田原生活だ。小田原の方がさすがに早く夏が終わっている。これを書いている朝4時は暗い中、ひっきりなしに虫の音が続いている。朝の風が窓から入ってきて、爽快な、雄大な気分になる。夏の終わりはさみしい気分になるが、これから、水彩人展があり、稲刈りがあるのだから、緊張して張り切っている。
久しぶりに小田原の街中へ車でプリンターのインクを買いに行った。ついでに少し車で移動してみたのだが、何か他所の街に来たようで、不思議な感触だった。もう小田原の住人ではなくなったようだ。大きな街というものはどうも合わないようになっている。
水彩人の受け付け業務ではプリンターもうまく動いてくれてよかった。と言っても、どうも操作をみんなが覚えてくれない。コンビニのコピー機と同じだと考えている。紙のサイズが違えば、紙は入れ変えなければならない。設定も変える必要がある。ところがそれを理解していない。
しかし、何をコピーするのかと思えば、全く無駄なコピーをしている。個人的な資料を作るためにコピーをしているとしか思えないことがある。無駄と思える郵送業務もある。昔はそうだったわけだが、見直しして要らなくなった作業は止めるべきだ。
今年はパソコン業務はある程度作業が整理されてきた。打ち込んでくれる人が2名新しく加わってくれた。これで順調に間に合った。手紙のあて名書きもあっという間にできた。問題はそうした作業の合間に、コピーさせてくださいというものが割り込む。
これらの作業をどのタイミングに行うか、事前に調整をしたい。受付日の午前中はそうしたコピーは基本的になくさなければならない。もし朝から必要な印刷物であれば、事前にコピーをしてくる。朝コピー機と3台のパソコンの連動を調整しなければならない。
今年の小田原の作物の出来で驚いたのは、大豆である。総生寺裏の畑の大豆が素晴らしい状態だった。この畑は5年前に借りたときにあまりに土壌がひどい状態で驚いた場所だ。松本の石綿薫さんに畑を見て頂いた。石綿さんは尊敬する土壌の中の世界が見える人だ。
しばらく畑を見ながら考えていた、そしてこの土壌は浸透性が悪い。穴を掘り浸透性をよくする必要があるとの診断だった。そして炭素循環農法の試験をするという事もあり、1反の畑の半分だけ、トレンチャーで1m以上深さの溝を掘り、樹木チップを入れた。
翌年半分だけが見事に改善されて、そこそこの収穫になった。翌年に残りの半分には4mの間隔で穴を掘りチップを入れた。それから一年ごとに改善され4年目の今年は、他の大豆畑よりも素晴らしい畑になった。この畑は麦と大豆を交互に続けている。このやり方も大豆の連作障害を抑える、石綿さんの指導の結果だ。今年は反収200kは超えそうである。
10番田んぼ
9番田んぼ
ことし手伝ったのは9番田んぼだった。なかなか良い出来だと思う。畝取り行くと思う。こちらは稲刈りまでいられないので残念であるが、田んぼ全体が良い状態だ。病気らしきものもない。台風も通過したのに倒れていないのは大したものだ。
水管理も草取りも完全に行われている。きちっとした管理で有機農業が出来れば、普通の栽培のイネ作りよりも収量が多くなるという事が、証明されている。有機農業は農薬化学肥料は使わないが、イネの本来の力を引いだし
ている。だから収量が多くなる。
ている。だから収量が多くなる。
有機農業で周辺農家よりも収量が少ない場合は、まだ有機農業の土壌になっていないからである。有機農業の土壌が完成するには5年はかかる。のぼたん農園の土壌はまだ1年もたっていない。これから徐々に土壌が良くなり、畝取りできるようになるはずである。
水彩連盟展が終わったら、金沢に行き久しぶりで絵を描こうと考えている。金沢はどこもかしこも変わってしまったのだが、レンタカーを借りたので昔描いたところを廻ってみて絵を描きたいと考えている。そして大学の美術部の同窓会もある。
21日には軽トラダンプを有明港から石垣に送る予定だ。早朝小田原を軽トラダンプで出発する。この日9時から有明港で積み込みが始まる。どのくらい時間がかかるかはわからないが、11時には間違いなく終わるだろう。そのまま東京駅に出て、金沢に向う。
12:24分発のはくたか563号 金沢行 に乗れるだろう。15時19分に金沢着である。泊まるところは駅のすぐ裏のドーミーインを予約してある。ここにはサウナがあるからだ。サウナに入り、水彩人展の疲労から回復である。少々綱渡りだが、大丈夫だろう。
そして最後になるのが、金沢からの石垣への帰りの飛行機である。先ず列車で名古屋に向う。25日朝7時48分のしらさぎ4号である。セントレア空港(名前が定着しない。)向う。尾張一宮駅で降りて、名鉄の一宮へ行く。そこから中部国際空港へ向かい、11時36分につく。飛行機は12時50分で石垣には15時30分には着く。