田舎暮らし体験談
田舎で生まれて、都会で育ち、田舎暮らしを始めた。いまは石垣島で暮らして、小田原に通っている。そもそもこの田舎暮らしという言葉はおかしい。石垣島はちっとも田舎では無い。私の中にある田舎暮らしは、戦後の厳しさの残る藤垈部落の自給の暮らしだ。つつましく、肩を寄せ合う暮らし。
最近コロナで再評価されてきた田舎暮らしを同感したり、そんなもんじゃないなどと時には腹を立てて眺めている。テレビでも放映されることがある。ポツンと一軒家とか、人生の楽園はひねってやっていれば見る。あっと、ボタンを押してやっていれば見る。
田舎暮らし体験談は参考にはならないといつもおもっている。この時代にあえてやろうという田舎暮らしは特殊な生き方である。田舎暮らしの一般論はどこにも無い。型にはまった与えられたような田舎暮らしであれば、わざわざやってみるほどのことも無い。
一人一人が自分の暮らし方を発明するから田舎暮らしには魅力がある。特殊な生き方をしたいのか、都会暮らしが耐えがたいのか。いずれにしても、都会暮らしではないものを求めて街を離れるのが普通だろうから、自分で何か生き方を見付ける方が良い。
田舎は誰をも歓迎してくれるような場所では無い。田舎の方では田舎に居る自分に役立つ人だけを待っている。田舎暮らしは多種多様で、一筋縄ではない。同じことが心地よい人と、苦痛の人がいる。農作業をやるとすれば実に多様である。
若い頃には化石燃料を使わないと条件を決めて始めたような私が、今は毎日ユンボで開墾をしている。平気でこういう裏切り行為が出来るようで無ければ、田舎暮らしの発見はできない。どちらにも合理性があると思っている。
若い頃シャベル一本で頑張ったことは正しい選択だった。いまユンボで冒険をしているのも一つの正解である。昔自然養鶏を始めたことも開拓生活が成功した原因だった。いま水牛を使う伝統農業を目指すことも意味があると思っている。その時代と、その状況によって考えが変わって行く。
35年前やった化石燃料を使わない開墾生活は実に楽しいものだった。最初は電気も水道も無かったのだ。そんな原始的な体力勝負が嬉しかった。体力の限界まで働くと言うことが、充実に繋がっていた。田んぼを作っていたら、大きな石が出てきた。石のまるで無い地層なのに、そこにだけに岩が現われた。
ツルハシで岩盤を取り除いて、田んぼを作った。ガン、ガンと頭の奥に衝撃が伝わる。ツルハシが跳ね返される脳髄がしびれる感触を思い出す。石工は長生きできないという話が実感できた。若い頃に骨がきしみ痛くなるような体験が出来たことはよかった。
同時に今のユンボを使ったのぼたん農園の開墾も楽しい。何も無い牧場の跡地に棚田が作られて行く。風景を作るという面白がある。作りながらその風景を描いている。自分の絵を描く為に、自分の風景を作っている。
いまは10の田んぼの造成と5つの溜め池を作り終えた。機械小屋予定地の地盤作りをしている。田舎暮らしは本当に多様だ。だから人のやり方はほとんど参考にならない。ほとんどどころか、実は人の事例は害悪になるくらいなのだ。
田舎暮らしは、個々に実際に始めてみなければ分からない。何度もやってきた私が、まさか石垣島に来て、開墾生活をまたやるとは思ってもいなかったぐらいだ。私の体験などまったく参考にはならない。だから、自分でやってみるほか無いのが田舎暮らしだ。今都会暮らしならば、想像しているものとは必ず違う。
田舎自体が実に多様なのだ。テレビでは金太郎飴のような、一様な田舎の切り口である。石垣島の方が、小田原よりも便利な都会なのだ。と同時に古い時代の農業の姿が混在している。これは旅行者には見えない、住んでみなければ分からないことだろう。
石垣島に農業を夢見て、来る人は毎年いる。そのほとんどの人が、実現できずに島を離れる。戦後開拓が難しかったように、石垣島の自然環境は余りに厳しい。山北でやった自給生活よりも数倍厳しい。独特の土壌で腐食質が不足している。土壌の性格は濡れればドロドロになり、乾けばカチカチになるという難しいものだ。
水田の腐植をどうすれば増やせるか。これが課題である。アカウキクサに期待をしているが、まだ見つからない。アオウキクサはあるのだが、これでは少し違うと思っている。見つかるかどうかで水田の方法が変わる。水草での緑肥農法。なんとしてもこれを研究したい。
農業技術は応用力である。固定観念で自然を見て行けば、行き詰まる。田舎暮らしは応用力次第なのだろう。水草緑肥の農業というものは、いまだ研究がされていない。何かを自分で発見しなければならないのが、田舎暮らしが成功するかどうかになる。
この暮らしの工夫をさまざまに応用する力が、現代人には衰退してきている。昔でも、百姓は応用する人であった。何でも工夫できる人が良い百姓であった。現代人はこの点で明らかに劣ってきている。マニュアル人間なのだ。聞いてないよ。教えてくれなかった。この点が田舎暮らしの大きな問題になる。
自然養鶏を始めたときにも誰も教えてくれなかった。放し飼いの養鶏をしている人がいなかった。それは今も同じで日本には一人も居ないと思う。それくらい難しいものだからだ。工夫と発見を繰り返さなければ実現できない。しかし実現できれば生きて行ける。
石垣島でも自然養鶏をやってみたいと言ってくれる人は居る。しかし、私には条件がないと思うので、怖くて取り組めない。若い頃だったから、あの挑戦をやり抜いた。石垣島で自然養鶏をやるとすれば、余りに条件が違う。すべて初めてのこととして発見しなければ実現出来ないものになる。
実際の田舎暮らしは百姓力が問われる暮らしだ。だからこそやる人間にはおもしろい。成功するかどうかは、その工夫をおもしろさを感じて、発見を重ねられるかどうかだろう。このおもしろいは命がけだからおもしろい。
見ている人は田舎暮らしを実際にはしない人達なのだ。ああいう暮らしも悪くはないと、感じさせる範囲の田舎暮らしだけが登場する。そもそも農業は、環境破壊の帰化植物の栽培だ。等という視点は入らないことになる。
暮らしというものは妥協だと思う。完全主義者には田舎暮らしは難しいことになる。私の山北の開墾生活も、途中で運転免許を取りに行った結果になった。融通無碍に妥協しながら、自分らしい暮らしを作り上げる。そういういい加減さも無ければ、実現できないと思う。