菅氏の2回目の記者会見

   



 日本学術会議から推薦された人の内6名だけが、慣例に反して任命されなかった。国会でこの問題が連日議論されたが、総理大臣からの理由の説明は人事の理由は説明できないと、意味不明な言い訳だけだった。

 驚いたことに日本の国民はこの問題を余り重く考えていないと世論調査に出ている。ここに日本人の劣化を感じてならない。大丈夫か日本。コロナでそれどころでない気分は分からないではないが、何が重要かの嗅覚がコロナでやられたか。

 菅氏は2回目の記者会見を行った。この中で学術会議推薦拒否でかなりの反発が起こることを予測していたと表明した。この人は外見に似合わず、ずいぶんとしたたかな人である。もし反発を予測して行ったというのが本当のことであるとすると、当初主張していた推薦名簿を見ていないというのは予定した発言になる。どういう事だろうか。たぶん、居直りの言い訳に過ぎない。

 6名が拒否されるという事は、説明を受けて知っていたとも表明している。これも事実だとすると、誰がどういう理由で拒否されるという事を知っていたが、名簿は見ていないという事になる。これではつじつまが合わない。

 学術会議を変えるためには共産党系の学者を拒否して、問題化する必要があるという判断だろう。やり方が嫌らしすぎるのだ。もし改めて任命するなら、学術会議からの推薦が必要になるとも表明した。やれるならやってみろと学術会議を脅している事になる。政府を忖度すればそんなことはできないだろうという確信犯である。学術会議はもう少し強い姿勢を見せなければ舐められて家畜化される。

 人間を人事で操作する。組織の在り方を変えるというのが、菅流の手法という事だ。堂々と新しい時代の学術会議の在り方を検討したいので、検討委員会を設置します。と言えばいいのだ。嫌らしく人事で問題にするところが、いかにも器が小さい。

 そして人事にかかわることは説明できないとする都合の良い弁明が用意されている。説明をしなくても、何を総理大臣として問題としているかは、学術会議の幹部の人は忖度しなさいという事になる。こういういやらしい人が一番嫌いだ。

 どう考えても体制翼賛の学術会議になればいいという話である。この考えがいかに日本の学問の世界に悪い結果を及ぼすかを、菅総理大臣には理解できないのだと思う。政府の言いなりになる人だけがいる社会が良い社会という理解である。学術会議が反政府的でけしからんと前から考えてきたという表明である。

 つまり北朝鮮である。言いなりになる人しかいない社会が良い社会。人事はもちろん、時々死刑にして、国民に忖度させている。こうした政府の顔色をうかがうばかりの国が成長できないことは当たり前のことだ。韓国と北朝鮮の国民生活の差はそれを意味している。

 菅氏は2回目の記者会見でずいぶんと自信に満ちていた。最初の記者会見のおどおどした態度とはうって変わっていた。菅流で行けるという確信を得たのだろう。学術会議問題の反発が国民全般に広がらない様子を見て、これでいけると踏んだのだろう。何という事か。

 今後官僚の忖度はひどい事になる。反発する人は官僚を辞任するだろう。どうせ左遷され面白くもないことになる。それに対して国民も問題とは考えないのだ。最悪の社会だ。菅氏だけが悪いのではなく、国民の選択である。政府の言いなりにやっていれば、無難だというのが過半数の国民になりつつある。

 しかも若い人ほど、この問題をどうでも良いと考えているらしい。何か信じられないような社会の変化が起きているのかもしれない。アベ政権の7年半、政治は国民の反応を無視してきた。その結果もう政治に対して諦めてしまったのでは無いだろうか。反発するより、長いものに巻かれていた方が疲れない。

  学者先生の話など、関係ない。明日の生活のことの方が重要だということならばまだ良いのだが、政府は国民の反応など無視するものだと言うことを受け入れてしまったのかもしれない。無駄なことで反対するのも疲れるしー。と言うことならば、アベ政権7年半の政府の国民無視による無気力化の成功なのだろう。

 アベ政権の7年半と言えば、若い人にはあまりにも長い政治空白のようなものだろう。政治を無視して、関係なく生きている方が、精神の健全を保つという生き方が出来てしまったのかもしれない。新しい形の独裁政権の作り方のようだ。これが続くと、日本は本当に嫌らしい国に成り下がる。

 菅政権を許してしまうことが、日本国民の判断のだとすれば、どうにも打つ手無いと言うことになる。学術会議の偉い先生の話が、実は始まりなのだ。これを認めてしまえば、かならずこうした人事差別のようなことがどこまでも広がるはずだ。それは長いものには巻かれなければならない社会の入口なのだ。

 この問題は自分に降りかかってくる。アベ政権で起きた、桜招待問題、森友問題、公文書偽装問題よりも深刻なことだと思っている。これを許せば、雪崩現象的に差別社会になる。お上の顔色を見なければならない嫌な世の中になるに違いない。人の顔色をうかがう社会など最低では無いか。

 学術会議には問題がそもそもあったのだという、政府の主張が功を奏した形のようだ。NHKなどこの問題の本質を全く報道しなかった。NHKが主張として学術会議問題を捉えられないと言うことも、すでに顔色社会の始まりを表しているのかもしれない。

 NHKは間違うと国営放送局になりやすい体質なのだ。公営放送というものが人事や予算などで、忖度を始めればたちまちに国営放送局になる。その危険を常にはらんでいる。今回もNHKとしては視聴者登録制度を法的に作ろうとしている。そのためには政府を怒らせることはできないと言うことかもしれない。

 人間の選別を政府が行っても良いと言う社会になる。確かに今回はエライ人のことで目立ったわけだが、町内会の会長であろうが、地域の民生委員、商店会の役員。そういう人が選別されて行くことになる。自民党に貢献した人は地域の有力者として、権力を振るっても良いことになる。

 社会の隅ずみの人間関係まで手を突っ込んでくる。人事や表彰行為を通して、人間の序列を権力が操作できる社会になる。すでになっているという事だろう。

 今ならまだ間に合う。そう簡単に政府の言いなりにはならない。損をしたとしても、桜の会に招待されないとしても、自分の主張を曲げない人間がいるという事を示さなければならない。理念のない菅氏など、ただの嫌らしいおっさんに過ぎない。と私には見える。

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