第13回 水彩画 日曜展示
第13回 水彩画 日曜展示
40,「宮良川中流域」1
中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
2020,5
41,「宮良川中流域」2
中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
2020,5
42,「石和付近」
中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
2020,5
今回の三点は気持ちよく描いた水彩画三点である。元時点では、意図したところまで描いたものだ。今見るとまだまだだと思う気になってしまうが、5月には良いかなと思えたものだ。水彩人展に出したいと思う作品である。
改めてこうして見てみると柔らかな筆触が好きなのだと思う。水彩の美しさというものは確かに薄い着色にある。ただ薄い着色のままでは絵画とは言えないところが出てしまう。やりきらない、何かその時の調子に依存してしまったような意志の希薄なところだ。
水墨画が和紙に薄墨で描いただけで、ある調子が出てしまう事によく似ている。水墨画では、この特徴を利用して描く手順のようなものに従って練習をする事がある。それなりのものが完成されたようには見えるテジュウンである。水墨の墨の特性と和紙の調子に依存して絵を描く。こうした手順に従うと、それなりのものはできるのだが、自分の意志を打ち出した絵画は描けない。
水彩画でも鉛筆でデッサンをして、その上に薄い着色で、スケッチ風に描くと、誰が描いてもそれなりの水彩画のようなものが描ける。しかし、ここに止まっているのは耐えがたく、絵画とは別物だと考えている。絵画芸術に一番必要なものは自己表現である。
いわゆる水彩画のパターン模写で終わる。それはそれで装飾作品と考えればいいのだろうが、芸術表現という事から考えれば、本質から外れたまずいことになる。近代絵画とは言えないものになる。実は水彩画にはそういうものが極めて多いのだ。そして、世間の多くの人はこの違いを知らない。
薄い着色の良さや、柔らかな筆触の良さを残しながら、どう自分の世界を表現できるのかというのは、いつも課題である。オキーフの水彩表現など見ると、うまくここを超えている。その世界観がどうかという問題はあるが。委ねながらも自分の世界観を示している。
世界観の方はそれぞれのことだから、偉そうなことは言えないが。自分の世界を画面に追求していないのであれば、どれほどよさげな絵でも絵ではないのだ。そのギリギリの境を追求している。つもりである。