金利の無い時代が来た。

   


 最近よくこの場所を描きに行く。道が行き止まりで、車が木陰に止められるとこがいい。斜面のしたから風邪が吹き上がってきて心地よい。バンナ公園の下だが、ここからバンナ公園には行けない。周囲はほとんどが牧草地である。

 ここから名蔵アンパルに通ずる田んぼが見える。この田んぼを描くのがとても好きだ。描いていてとても気持ちが良い。どう描いて行けば良いのかは試行錯誤なのだが、気持ちよく描けるというのも大事なのかもしれない。

 世界主要62カ国の30カ国の金利が1%未満になったと出ていた。マイナスが10カ国、0%台が20カ国という内訳だ。金利のない時代が始めてきたといってよい。貯金をすると、預かり賃が取られるようになりそうである。銀行はお金を貸すのでは利益が出ない。

 金利は不労所得だから、良くないものとも言える。金利がないと言うことで、行き場の無いお金が投資に回っている。投資をすると言うことはやってはならないと考えている。相場師というイメージである。競輪やパチンコと何ら変わらないと考えてきた。お金が人間をダメにすると言う気持ちが染みついている。

 金利がなくなると言うことは銀行の倒産が始まる前兆のような気がしてならない。今回の恐慌で銀行が倒産すると言うことは、一つや二つではないのではないのではだろうか。それほど危うい状況だと感じているのだが、世間はそうでもないようだ。心配性なのだろうか。

 1960年頃には3、6%くらいの定期貯金の金利があった。子供心に4000万円貯金があれば、月々10万円になり暮らして行けると想像していた。ホリエモンのような始末の悪の子供だったようだ。お金を稼ぐと言うことの意味を、軽んじていたこともあるかもしれない。親がお金を大事にしろ大事にしろと言いすぎた性がある。

 ずる賢い子供の私には、定期貯金の金利で暮らすのが一番確実な生き方だと思えた。何かの本に定期貯金より見返りの大きいものは怪しいからよく考えろとあったのだ。志賀直哉の小説だったかもしれない。4000万円の貯金がどうすれば出来るのかは分からなかったが。早めに4000万円を貯めて後は好きなことをられば、たのしいだろうと思ったわけだ。

 お金を労働の対価に働くという意味が利息と同じようなものに見えていた気がする。働くと言うことはお金と連動していない方が純粋なのではないかという気がしていた。それぞれの人が好きなことを好きなだけして、暮らしは国管理してくれる。そういう社会は来ないものだろうか。

 人が生きるということは好きなことをやりきることだと思うのに、お金のために働くというのはいかにもおかしい気がしていた。人間の価値よりもお金が上のように見えて、お金を稼ぐために働くと言うことが馬鹿馬鹿しくなった。働くと言うことはどういうことなのか、結局分からないまま、働かないでも良い70歳になった。世間体と言うことでほっとしている。それでも、75歳までは働け等という文章を見ると、気がかりになる。

 ところが今では銀行の定期貯金の利息で暮らそうと考えたら、100億円くらい預けないとならないようだ。つまり貯金額が、250倍になってしまった。不労所得で暮らすのはよほど大変なことだ。なんてくだらない空想をしても始まらないが。こうして行き場のないお金が、リスクの高い資産運用に流れている。

 景気は最悪だし、今後の見通しもない。それなのに投資だけは増えている。実際に使いようも無いお金が、利潤を求めて右往左往している。私にはこう言う投資という、定期貯金の金利より、大きなものを求める人間の生き様が危険に見えてならない。

 不労所得を得ようにも、行き場がなくて恐慌が近づいているのに、株式市場になだれ込んでいる。定期貯金より高い利息は必ず危険を伴うはずだ。つまり、今やお金では不労所得はないと思うほか無い。株式は行き場がないだけのことで、日本政府がやたら足りないお金の発行を続ければ、最終的には円の価値が暴落するだろう。たぶんそれがハイパーインフレというものだ。

 日本政府は膨大な借金を抱えて、危険水域に見える。それなのにさらに借金をしている。国はどれだけ借金しても大丈夫だという、理論があるらしいがとんでもない話だ。借金は国だろうが、企業だろうが、返さなければならないのは当たり前だ。

 国がいくら借金しても大丈夫なものであるなら、まず消費税を無くして貰いたいものだ。消費税を必要なものだと考えているのだが、それは税金が足りないからだ。国がいくら借金をしても潰れないのならば、消費税も国保税も廃止だ。残念ながら、どうかんがえても国が限度無く国債を発行するのは危険だ。

 国は借金を返すために、もう一度借金をしているのに過ぎない。銀行にその借金を肩代わりさせているのだろう。しかし、その銀行が投資先がない。結局株式投資をするのだろう。しかし、株価は世界中の金余りで、集まってきているから今は上がっているが、そのうち実体経済に従って暴落するに違いない。

 利ざやがとれない銀行は収益が低迷し、長い目で見た金融機能の維持にも疑問符がつく。金利には、利払いを上回る利益を稼ぐ努力を企業に促して、新製品の開発を引き出す機能もある。しかし、新しくお金を借りて新規事業に取り組む意欲のようなものが日本の社会には失われているのだろう。

 低金利で低い収益のまま生き残る企業は世界で増えている。日本国も同じだ。政府もそうした収益性の少ない既得権益としての企業を優遇している。これは国が新規事業の芽を潰しているようなものだ。

 農業分野にも企業の参入を促している。補助金が出るので参入する企業はある。しかし、新規分野を切り開けないので、小さな農家を押しつぶす結果になっている。日本の強みであった、経営を越えて農業を維持してきた伝統的な農家を廃業させてしまえば、いよいよ日本の食糧自給はあやういことになる。

 原因は各国の中央銀行が、国債を発行しそれを自ら買うという禁じ手を行う結果だ。特に日本は国債発行の半分を日銀が購入している。国が何故根拠無くお金を増刷して、自分で買い取り国債という形で売り出していて良いのかが分からない。国の借金と個人の借金とは意味が違うと言うことが分からない。

 これからの時代は一次産業だ。自分の身体を動かして、ものを作る。この原点だけは変わらないはずだ。それは時給の範囲で行うのであれば、楽しいことだ。一次産業は大きいものではなく、自給的なもので余剰を販売する程度のものが一番だ。
 

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