カジノの経済効果はマイナスになる。
カジノが解禁されると、日本のGDPが1%上がると政府は試算している。その具体的な試算は示されていないが、日本経済に良いのでカジノをやるというのだ。果たして、本当に経済に良いのだろうか。新産業の創出が出来ないで、日本は投資利潤国家に成り下がった。そこで出てきたのが苦肉の策のカジノ依存である。
確かに戦後の疲弊から立ち直るために、公営賭博は必要悪として存在した。しかし、その悪弊から未だ抜け出せないでいる。その結果現状は世界屈指のパチンコ賭博社会である。本来であれば、パチンコ屋の営業地域を限定するなど、賭博から足を洗うのが普通の国作りだ。
ところが、足を洗うどころか、さらにカジノまで手を出そうというのがアベ政権の経済政策だ。日本国を博徒にしようというのか。金儲けの何が悪い。と言う居直りがカジノである。案の定、パチンコ議連がカジノ汚職である。
アベ政権は汚職をものともせず、カジノ推進しろと進み始めた。もう歯止めのない状態になっている。どうせ何をやっても支持されると言う奢りである。さすがにここまで来れば国民も愛想を尽かすのではないだろうか。
カジノの経済効果には全く負の要素が含まれていない試算である。原発を作ればGDPは上がるが、その50年後の廃棄のためには負の効果を見込まなければならない。ギャンブル依存症対策費まで、GDPの貢献にはいるのだろう。政府は1%経済成長の試算を明確にして議論すべきだ。
カジノが出来ると外国人観光客が増えるという見込みが経済効果だと推測する。それなら日本人がカジノに入場できないでもかまわないはずだ。韓国にあるカジノには韓国人は入れないそうだ。どうしてもカジノに行きたいなら、ラスベガスでもマカオでも行けばいいだろう。
大阪市の試算では顧客の7,8割は日本人と予測している。外国人観光客はカジノの顧客の2,3割に過ぎないのだ。その観光客がどれほどその他の観光を行うとみているのだろうか。それほどのことではない可能性がある。
日本人を入れないのではカジノの経営は成り立たないので、日本人の入場を見込んでいるはずだ。日本人がカジノをすることを経済効果と言っていいのだろうか。カジノは健全な娯楽とはさすがに言えないのだろう。日本人がアメリカ資本のカジノお金を吸い上げられるのは経済効果ではないだろう。
地方の活性化と言うことも言われていたが、大都市以外はカジノ誘致は行わないようだ。これでは地方の雇用の創出と言われていたことも嘘だったと言うことになる。雇用がさらに大都市に集中して、地方の疲弊につながると言う悪い影響は見えてくる。
カジノで働くことなど、望ましい雇用の訳がない。日本人が劣化して行く産業で働くことは良い雇用の場ではない。不健全な雇用など少しでも減らすのが、日本の向かうべき社会だ。どうしてもやるなら、日本人の雇用も認めないことだ。アベ政権の好きな外国人雇用でやればいい。
シンガポールがカジノを2010年に始めて成功した事例と言われているが、本当であろうか。確かに2015年当たりまでは観光客が急増したが、その後観光客は頭打ちである。しかもこの間のアジアの観光客数の増加は20%以上になっている。その意味ではシンガポールのカジノ効果は成功例とは言えない状況になっている。
石垣島は公営賭博場はない。パチンコ屋は2軒だ。それでも観光客は増加している。カジノ好きの外国人など来て貰わなくて結構である。石垣島らしい、八重山の風物を味わってもらえる観光客に来て貰うことがお互いに良い。カジノはアジアの交流拠点の未来像には不要なものだ。
厚生労働省の調査では成人の3,6%がギャンブル依存症と言うことだ。そのうちパチンコが2,9%とされている。総数は320万人と言うことになる。すでに大変な状況なのだ。この状況でさらに問題を深刻化させるカジノを作るなどまともなことのはずがないだろう。
ギャンブル依存症が疑われる人の割合を諸外国と比較すると、生涯で見た場合は、オランダが1.9%(06年)、フランスが1.2%(11年)、スイスが1.1%(08年)米国は1.9%(01年)であり、日本は3,6%という極端な高さなのだ。
政府はカジノでの雇用を期待しているという。外国人労働者を入れなければならない日本の労働環境で、何を血迷っているのだ。カジノのようなくだらない職業を増やす理由などどこにもない。
カジノはそもそも違法行為である。違法行為を合法化する法律を作った。アベ政権が違法政権なのだ。悪法は違法行為を呼んですでに、自民党と維新の会の議員のカジノ汚職が摘発されている。
カジノによる治安の悪化の懸念もある。暴力団の資金源にならないか。パチンコ業界の政治献金が自民党に流れて、政治の悪化になっている。カジノを推進するような政治になってしまった。政治家はそもそも選挙が好きだから、カジノ好きなのかもしれない。
まだ引き返せる状態である。何とか踏みとどまって貰いたい。足を洗う事が今ならできる。