石垣島の年の暮れにモザイク画制作
30日で絵は終わりにした。年の瀬に急に思い立ち、家の入口の大理石モザイクに取りかかることにした。下書きだけは描いてあったのだ。石垣の家を作るときには,必ず作ると考えていた。取りかかることさえ出来ていなかった。玄関先の狭い部分にモザイク画を描きたいと考えていたのだ。
モザイクと石垣の貝殻の作品である。メインになる貝はスイジ貝である。モザイクのために良さそうな貝を集めていたものが結構の量ある。特にスイジ貝は石垣島の火防のお守りになる貝である。3つ持っている。この貝をモザイクの作品のテーマに置くつもりだ。
そして様々な貝やら、海岸で拾ったガラスや珊瑚などで、作品を構成するつもりだ。大きさは120センチ四方と120号ぐらいの2枚だ。ただせまい玄関先なので、余り窮屈な感じにはできない。
構成は砂浜と海と、波と太陽である。大きい方のモザイク画には生命の木も入れることができればと思っている。下書きは1年も前にしたのだが、取りかかれないままであった。石垣にいると絵を描きたくなってしまって、モザイクに進めないでいた。暮れから正月なら、絵を休みにしてモザイクもいい。
正月は少し絵を休もうかと思った途端に、じゃ、モザイクをやろうという気になった。このところのお天気は外で作品を作るにはちょうどいい気候である。今日、コンクリートボンドを買ってきたので、いよいよ明日から貼り付けるつもりだ。
石垣島の年の暮れはかなりさみしい。この写真が午後のユーグレナモールである。年の瀬らしい慌ただしい空気はほとんど無い。観光客が減ることもあって、むしろ街は静かだ。お店の中には「冬は不定期開店です。」と表示して閉めている店もあるくらいだ。
この20日間ほとんどの日が、昼の最高気温は28度夜も20度。冬と呼ぶ事はためらわれる。クリスマスと言っても、そういうイルミネーションと言うことはなかった。ホワイトクリスマスでは当然場違いな感じなのだろう。
農協のゆらていく市場に行くと夏野菜が大分増えている。キュウリやトマトがむしろ旬なのだ。葉物もそろっている。こういう場合、身体の旬はどうなるのだろう。家の家庭菜園でもキュウリとトマトはできている。
果樹などもマンゴーやパイナップルが又出てきている。田んぼは一番さみしい季節である。1月10日になれば、水を入れるところが出てくるだろう。理由は12月は取水を止めることになったと、田んぼに表示があった。取水量が契約量を大幅に上回ったと言うことらしい。絵を描くにはもう少し待つしかない。
2019年最後の絵。 同じ場所で3枚目の素描。だんだんまとまったが、だんだん大胆さがなくなっているが、まあ、これが私のここでの到達点かな。素描の写真を上げてみたのは、これが令和元年の書き納め。
石垣の海を透き通る宝石のような緑がかかった青が印象的だろう。しかし、絵を描いていると、その向こうに広がるインジゴブルーのような黒みがかった藍色が印象深い。その黒い藍とおあ緑の間に白い帯の波の作り出す線ができる。この三色の加減が海の色になる。
これを絵として正確に描くのはとても難しい。さらにその上にけぶるような空がたいていの場合ある。その白の混ざる空色が天空の濃紺まで続いている。そこにわずかに桃色やら、黄色を含んだ白い雲がたいていの場合浮んでいる。まるで目線の高さに雲が浮んでいる。まさに天国の景色である。ここに居るだけで良いという景色である。こののどけさを描くことはできないものかと思う。
今日は、お飾りを玄関に。お餅をつく。せめてものお正月気分。正月は絵はよし手モザイクに専念。そして、2日の書き初めに備える。今年は「一朝来復」「天地玄奥」「水土天命」「立春大吉」と書くつもりだ。
書く字の下書きをしておかないとなら無い。書き出すと字を思い出せなくなってしまうのだ。何度も書いたことかもしれないが、中川一政氏は自分の名前を書くために、鉛筆で下書きをしている。もちろん下書きの鉛筆をなぞるわけではないのだが、字を書くときには自分の名前の漢字すら思い出せなくなるものだ。
ピースに割った大理石である。昔材料として作ったものだ。石垣まで運んできた。芸大の教授だった、八橋先生の関ヶ原の八橋大理石でいただいてきた大理石である。ここでやっと生かされることになる。
山北の家では、玄関とお風呂の壁に大理石モザイクを貼った。いいものだと思うのだが、今もあるのかどうかは知らない。家に付随した作品は家が壊されるときに壊されることになるのだろうか。
石垣の家の作品も私が生きている間、生かされればそれでいいと思っている。何年のことかは分からないが、自分のアトリエだなという印になればそれでいいと思う。