自衛隊配備は虚偽に満ちている。

   

岩屋毅防衛相は二日午前の衆院安全保障委員会で、防衛省が宮古島(沖縄県宮古島市)に新設した陸上自衛隊駐屯地の弾薬庫に中距離多目的誘導弾などを配備する計画を、地元住民に説明しないまま進めていた問題を受け「多目的誘導弾などの保管について明示的に説明していなかったことは事実。大変申し訳なく思っている」と謝罪した。駐屯地内にある弾薬類をいったん島外に搬出することも明らかにした。
宮古島の自衛隊基地は言われていたとおり、ミサイル基地であった。今まではその説明をごまかしてきた。それは石垣の自衛隊基地も同じである。軍事機密と言うことで、内容は説明できないと曖昧にしている。ミサイル基地では無いというようなことを発言したのかどうかさえよくわからい。曖昧なまま基地の内容を勝手に変えてゆく。住民説明会と言っても何もわからない。なぜか今回突然ミサイルがしまってあると判明した。内部告発で事実が出てきたのか。まさかスパイの告発と言うことは無かろう。意識的に情報を漏らして既成事実化すると言うことかもしれない。防衛省流の住民への周知方法なのか。いずれにしても防衛省に約束を守れなどと言っても無駄だと言うことだ。軍事的に情勢が変われば、一方的に内容を変えて犠牲を住民に押しつけるものだろう。核弾頭だって備蓄している可能性を見せる。そうで無ければ、軍事基地の意味をなさないという側面もある。こうして沖縄の基地負担は増加してきた。米軍は核を持ち込んでいたのだ。沖縄の軍事基地負担軽減とは、アメリカの負担軽減と言うことなのだ。沖縄は捨て石なのだ。「沖縄に寄り添い、十分に説明を行う。」とは、どこの誰の口から出た言葉か。本当にアベの口は薄っぺらのペラである。
遠からず基地は米軍との共同使用と言うことになる。日米軍事同盟である以上、アベ政権の対中国敵視政策からすれば、既定路線だろう。すでにそういう内諾をアメリカに与えているのでは無いだろうか。アメリカと中国が経済戦争を始めた以上、日本は同盟国として巻き込まれることになる。南西諸島の防衛ラインの軍事作戦自体が、アメリカの作戦計画をもとに立てられている。もちろん対中国である。石原慎太郎が尖閣諸島の国有化を発表したのはアメリカでのことだった。アメリカのご機嫌を取ることが日本の右翼勢力の習い性である。それは未だに西洋かぶれから抜け出せない、鹿鳴館の末裔たちの振る舞いなのだ。一般に国粋主義が右翼であり、外国勢力を排除するものと思われるが、日本の場合国粋主義者というのは、明治帝国からして欧米礼賛である。ずいぶん、貧弱な日本主義である。ゆがんでいるというか、屈折したものだ。残念なことに、日本の保守政治家には拝金主義以外、主義らしい主義は見当たらない。
何度も書いたことだが、現代の戦争では地理的に中国に近い沖縄に基地を集中させることは、一長一短である。攻撃を受ければ、一網打尽と言うことになりかねない。抑止力を高めるというなら、現代の武力では固定基地では無い。固定すれば敵も攻撃がしやすいと言うことになる。沖縄集中の利点は、本土の人間が安全になると言うことだ。自分さえ良ければと言うのが、拝金主義の側面だから、そうなるのかもしれない。遠い沖縄が攻撃を受けている間に、反撃の体制を整えれば、本土への攻撃の可能性が軽減される。原発を都市に作らないのと同じだ。そもそも、基地以外を攻撃するとしたら、原発であろう。原発を破壊すれば、その国を滅ぼすことができる。基地で防衛ができるというのであれば、原発周辺に基地を造ればいいだろう。専守防衛の研究が足りない。以前、原発は爆弾では壊れない。という、浅はかな意見があった。原発神話そのものである。いつか神風が吹くとでも思い込んでいるかのようだ。
現代の戦争は経済の戦争から始まる。経済の戦争にも段階がある。今の米中の経済摩擦は前哨戦レベルであろう。まだ、妥協した方が利得がありそうな範囲である。交渉が暗礁に乗り上げて、にっちもさっちもゆかなくなり、次段階に軍事戦略が出てくる。武力攻撃が始まるのは、まだまだ先である。ではなぜ基地を作るのかと言えば、緊張を高めて日本人の意識を変えようとしている。緊張が高まれば、憲法9条の改定ができる。南沙諸島の軍事基地と同じである。国内対策が主目的である。安全保障とは別の話である。南沙諸島に基地があれば、にらみがきくと言うことだろう。近隣諸国に圧力がかけられる。
もし軍事基地が必要があると専守防衛研究の結果結論が出たならば、無人島に基地を作ればいいだろう。何も人家のそばに作る必要は無い。南沙諸島には人はいない。石垣島に作らなければならない理由は全く見当たらない。もし、沖縄防衛局から基地の必要な理由が述べられたものがあるなら、どなたでも誘致派の市会議員の方が多数おられるのだから、教えていただきたいものだ。特に、平和の党を自称される公明党のかたなら、ご存じかもしれない。

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