見るという事の自覚
目に映るものを、意識して「みる」という事に自覚する。絵を描くときには、意識をどう持って行くかを考えている。見ているという事が自覚することが出来れば、自分という見ている何ものかが確認できる。ここに絵を描くという事の意味が存在している。月を見る。冬夜空を見上げれば月がさえわたり浮かんでいる。月は美しい。理由なく美しい。犬だってうっとりして遠吠えをするかもしれない。月が美しいというのは文化的蓄積なのだろう。月を美しいとめでる人間の方が文化的に良い人間という刷り込みがあるのだろう。月の欠け具合で様々な名称を付けた平安貴族の文化。月に名前を付ける。宵待ち月、立待月。月に叢雲花に風。月という天体現象を言葉化することで、月というもののに命を与えることができた。命名された月は、多くの詩人に読まれ、その厚みを増してきた。「名月や池を巡りて夜もすがら」江戸時代芭蕉が月を俳句に読む前提には、月という言葉化された文化的な厚みがある。月を見るという事にも、日本に生まれ日本人になったという重い事実がある。
見るという事が、ただ目に映るという事ではないという事は確かだ。見るという事は意志的なことである。そして名月と読んだ時にすでに、詩的世界が共有されている。月を描くという事がある。月に人が立った時に、文化としての月が変わるのかと言われたことがある。坂本繁二郎の描いた月が変わると言われた。月に人が立つという事実で、月が変わるのではなく、月という文化の厚みが失われる年月が過ぎた。それは、風や霧の共通文化も薄れゆくようだ。私の目に映る月を美しいとする、「みる」は私自身の中ではぐくむほかない。それが、私が絵を描くという事なのではないか。私が「みる」を確認するためには、描いてみるほかに手立てはない。見るを自覚するために描く。このように見ているという、自覚を画面に表してみる。それが私が描くという事の意味なのだと思う。私というものに至る為に、私というものが見ているという自覚を深めるという事。
私の絵は意識を自覚化するものであろうとして描いたたものだ。見ているが画面化出来ているとは言えないが、見ているという事を確認しようとして描いた痕跡である。これが笹村出が見たという事でいいのか。この問いかけの下に描いている。昨年の水彩人展の展示前の、地下の部屋で同人の互評の作品批評会が行われた。私の絵を前にして、失笑が広がった。出来上がった商品絵画というものを前提にしたら、絵とは言えないものである。自分に近づくという事は、自分のありのままであるという事は、こういう事だろうなと感想を持った。代表からは、笹村さんの真似をしたような絵だという言葉があった。多くの人が誰かをまねて絵を描いているという事であろう。私が私をまねるという見方はあると思うが、上手く真似られない絵ということになるのだろう。良い絵を描こうとするとことが目標にされている。良い絵という客観評価の世界にいる。世間的な評価が絵画世界にまだあると信じられている。良い絵という基準から、評価を下そうという、価値世界を残している。
絵画において共通評価基準のある世界は、すでに消滅した。文化勲章受賞作家の作品でさえ、共通価値としては成立していない。そんなことはないと考える人がいることは知っているが。商品文化の世界が広がっているから、絵画が商品絵画としての基準のなかにあるのは当たり前である。それとは私が絵を描くという事とはかかわりはない。かかわりがないと自覚するには遠回りしたが、やっとのことでたどり着いた。問われるのは笹村出という人間だけである。笹村出であるという事が価値があるのかどうかである。たぶん世間的には何もない。何もないのではあるが、それでも笹村出に至ろうとする。つまり、個であることの自立。その自覚と覚悟。そうではなく、何でもないササムライズルがそこにあるという確認が意味がある。それは笹村個の問題ではないとさえ考えている。誰もが、自分であるというところに立つという、私絵画の在り方。もし、つぎの時代にも絵画が存在しているとすれば、そこ以外に場はないと考えている。立派でなければならないという重荷を解き放つ。