石垣島の暮らしが始まる。

   

石垣に来る飛行機は必ず、相模湾上空を通過する。飛行機の座席は必ず、右側の窓のところにする。見えるとただうれしいからだ。このところ、見えることが多い。この上から見る富士山も実に面白い。同時に小田原が見えるときもある。今回は最高の情景。何かこの先の幸せにあふれる。石垣島に戻ってきた。前回は引っ越しだけしてとんぼ返ったので、今回は石垣島の年の暮れと正月を楽しもうと思っている。おいしい食べ物がある。古酒も早く仕込みたい。ともかく暖かい。感覚としては、夏である。昨日は26度あった。朝小田原が氷点下だったことを思うと、別世界に来た気持ちになる。夕方、5時半で暗くなる。冬至も近いのにこの夕暮れの世界が、冬の気持ちにはなれないところだ。私の家は、博物館前でバスを降りて、10分ほどにぎやかな通りを歩く。夏の夕涼みの散歩のようだった。また新しい店ができた。石垣は散歩の街だ。住宅街もよい。商店街も楽しい。港まで海を見に行くのも悪くない。明るくなったら出かけようと思う。

石垣では家を建てたときに、建築業者さんがそれぞれにお祝いに、泡盛をくれる習慣があるようだ。38本ある。68リットルある。毎日50cc飲んで1568日ということになる。たったの4年半年だ。これでは足りない。もう少し長生きするつもりだ。今日、玉那覇酒造さんに行って、一壺分買ってくるつもりだ。これを甕に仕込んで古酒を作りなさい。古酒ができるまで末永く、安寧に暮らせるようにという、お祝い事のようだ。これを仕込まないうちは、石垣の暮らしは始まらない。実は先日仕込むつもりだった。ところが、今回は見送って、次回来た時に仕込めばよいと、盛んに言われたので、残念ながらやらなかった。別段クウスの味がわかるわけではない。それでいい。この全体しきたりが好きなのだ。時間という、誰にでも共通にある価値を、お酒に加えてゆく文化。暮らしを見つめてゆく時間を味わう。だから、クウスは10年物を買えばよいということではない。小田原では東京から持ってきた梅酒を飲んでいた。30年ものさえあった。これは小田原で飲み切るつもりだ。

諏訪野原圃場でとれた、野菜。過去最高の出来だった。根守さんの計画のおかげだろう。食べきれないほどニンジンがあるのは初めてだった。大根も過去最大の大きさ。株も、長いこと食べた。長ネギは私のものが一番良かった。理由は、3つある。土寄せ、ぼかし肥料、密植。作物によっては、密植が好きなものもある。

 

 

くわいを掘った後。くわいの出来はあまりよくなかった。これも不思議、一番手をかけた年なのに、出来はそれほどでもなかった。

石垣から、年賀状を投函するつもりだ。年賀状はふつう消印を打たない。切手の年賀状にしたから、石垣スタンプを打ってくれるかもしれない。年賀状は今年は小田原にきて読めないだろう。出さなかった分の返事もかけない。残念だと思うが仕方がない。業者さんには石垣の絵を描いて、送りたいと思っている。20人くらいの方がかかわってくれたらしい。気持ちの良い人たちばかりで、こんなに良い工事は初めての経験である。これからの暮らしが落ち着いてできそうでうれしい。もし、石垣で家を作ろうという人がいたら、紹介したいと思う。沖縄は移住先希望では、日本で一番である。ダントツだそうだ。石垣は離島であるにもかかわらず、人口増加が起きている。私のような新住民もかなり多いといわれている。石垣の新住民の暮らしを少しづつ書いてゆこうと思う。

 

 

 

 

 

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