石垣での家づくり

   

石垣設計室から工事の報告写真。

石垣島へ行くこともできないまま、石垣の家づくりが進んでいる。すべて、石垣設計室のTさんが進めてくれている。安心して任せられるという事は凄いことだ。以前、山北の家づくりでは、最初お願いした建築会社が下請けの工務店に丸投げした。設計監理をお願いした、著名な設計事務所が設計以外には責任がないと、管理をほぼやらなかった。丸投げした工務店は知らぬ存ぜぬ。丸投げされた工務店がまたいい加減で自分の都合で長期に工事中止をしていた。何しろ工事のごみを山の一番奥に捨てていた。ごみを見て気付いて回収するように注意をしたら、何とごみなど山の中に捨てるのが普通のことだと怒りだした。工事が終わってから、丸投げした建設会社から意味不明のお金が請求されて実に不愉快だった。結局すぐにその丸投げした会社は倒産した。今度の石垣の家づくりでは石垣設計室のやり方は、オープンシステムという方法だった。一つ一つの仕事を設計事務所を通して、直にわたしと施工会社と契約するというやり方なのだ。それは入札で行なわれた。正直、石垣にそれほど業者の数がある訳でない。その中で入札するってもどんなものだろうと思った。競争ない入札なんだろうと。このあたりの実態は、全く分からなかったが、どの業務も複数の業者さんが入札をしてくれた。

適正価格で信頼できる業者さんだと石垣設計室から説明があった。石垣では建設が沸騰していて、やってくれる業者さんを探すこと自体が難しいと聞いていた。その中で、業者さんが集まってくれただけでもありがたいと思う。このあたりが石垣設計事務所の実績の信用なのではないだろうか。石垣設計室が家を作る場所のすぐそばにあったので管理業務が確かだろうと依頼した。しかし、工事を進むにしたがって、石垣設計室にお願いしたことがどれほどの幸運であったのかがわかった。石垣の古い住宅地の奥で工事をするという事は、近隣にどうしても迷惑をかけることになる。この配慮が出来るのは、同じ地区にある設計事務所にお願いするという事が、とても大切なことだった。しかも、石垣設計室の石垣さんは、地域の仕事で表彰されて新聞に出るような方だ。加えて、石垣設計室の私の家の担当をしてくれているTさんは、横浜出身の方で移住された人だ。神奈川県からお願いする人の気持ちがよく分かってくれる。

石垣の家はほとんどがコンクリート作りである。白で塗るのが一般的と思われる。私にはどこか白は違うという気持ちがある。石垣の土の色にしたかった。理解してもらえないようだったが、色だけは無理押しをしてお願いした。しかも、つや消しにした。これがすぐ汚れるから駄目だと散々言われた。汚れても良いからやってもらいたいとお願いした。塗料やさんに色合わせに行くと、そういう要望ならこの塗料を使えばよいと言われた。ところがもう下ごしらえが進んでしまっていて、残念ながらその塗料は使えなかった。残念だがそれでいいと思う。汚れるのも楽しもうと思う。塗料やさんはきれいに古びるのではなく、醜く汚れてゆく。それでは壁を塗る側としては不満だと残念そうに言われていた。もっともな話であるが、もう今更仕方がない。下地の作り方など左官屋さんの仕事が丁寧で凄い。大変な仕事だったと思う。全体に良い感じの調子になっている。そこに玉を吹き付けてくれたのだが、玉の吹付など古いという事だったが、どうなっているか楽しみである。

内部空間は絵を描くために徹底した。なかなか良い。アトリエだけを考えた家である。アトリエには4つの天窓がある。昼間は外光で絵が描ける。床はこちらで購入して送って張ってもらった。割と幅広の明るいカエデの無垢の板である。明るい床になっていると思う。床材を石垣まで送ることは大変だったのだが、親切に工務店の方が対応してくれた。港まで取りに行ってくれて、長いこと預かってくれた。楽しみなことは、6つの松本民芸家具を入れることだ。彫刻家だった叔父が松本民芸家具とかかわりがあって、戦後すぐのころから家には松本民芸の家具があった。今度の家はその家具がうまく入るように作った。自分で作った家具なども置けるようにしてある。家具に併せて家を作ったとも言える。アトリエだけの家だ。引っ越しは大変なのだが、必要なものだけ運び残った物はだんだんに整理するつもりだ。

家は湿気対策だけは徹底した。絵をしまう押し入れを作り、その中に絵をしまう霧のタンスを二つ入れる。水彩画保存庫の中に24時間運転の除湿器を入れてある。何しろ石垣の湿気は猛烈である。水彩画がかびない様に保存するためには、除湿器の連続運転しかない。保存庫の中だけの除湿ならば、それほどの費用をかけないで可能だ。

 

 - 石垣島