敗戦した日に考えること
友人のお父さんに朝鮮にいた日本軍人だという人がいた。どんな立場な方かはわからないが、見るからに立派で威厳がある人だった。朝鮮の部隊の中将だったと聞いたが、朝鮮の部隊という事が、どういう意味なのかは正確には分からない。その人は戦後何もしないでいた。それで暮らしは大変だったのではないかと想像される。お母さんが活動的な方で、いかにも戦後の新しい社会を象徴するような自由な空気の方だった。ご主人が何もしないことを意に介せず、むしろ生き生きとにこやかに頑張って働いていた。その友人は明るく陽気でユニークな人で、成績がクラスで一番で東大に行った。自由に生きる人で、モデルをやっていたことがあった。今も会うとモノの見方がなかなか興味深く、ついつい盛り上がってしまう。台湾人や朝鮮人で、植民地時代に正式に日本の軍人になった人が50万人というような規模で存在した。しかし、敗戦によって日本人ではなくなった。敗戦後のことを思うと、大変な荒波の中を生きざる得なかったのだと思う。実に複雑な存在である。その複雑さは日本帝国主義が押し付けたものに違いない。友人のお父さんはその責任のようなものを背負っていたのではないか。
自衛隊を憲法9条に明記すると安倍晋三氏は主張する。それが自衛官の立場を尊重することだという。自衛官の子供が、学校で自衛隊は違憲だと書かれた教科書を学ぶという、可哀想な状態を無くしたいと主張する。これは自衛隊の是非を軍事力という正面から議論しない姿勢である。自衛隊は軍隊であり、戦争を行う組織である。戦争という手段が国際紛争の解決につながらない。平和的な手段によって、国際的な問題を解決するように政府に命じたのが、日本国憲法である。尖閣諸島に問題があるなら、軍事的解決ではなく、平和的な手段で解決しろと憲法は政府に命じているのだ。こう命じる憲法が嫌だから、変えたいというのが、安倍晋三氏の本音であろう。自衛隊員の子供がかわいそうだから、憲法を変えたいなどという言い方は、この問題の本質をはぐらかしたいという、卑怯な言い草である。日本が軍事的に尖閣諸島問題を解決しようとはしていないと言えるのか。八重山諸島、沖縄に自衛隊のミサイル基地をいくつも作るという事は、中国側から見れば、ケンカを売っていることになる。そうした態度であるなら、自分たちも軍事的を高めようという事になる。それが日本政府にしてみると、中国の軍事拡張主義には対抗しなくてはならないといという事になる。
日本の植民地であった台湾や朝鮮出身の日本軍人は50万人規模のようだ。その人たちは皇民と教育され、日本国家の為に命がけで戦争をさせられたのだ。この植民地の悲惨には、日本人としても想像だけでも耐えがたいものがある。人間を崩壊させるものがある。そして、日本が敗戦し、今度は敵国に協力した人間と扱われた。日本はそうした人たちを、見捨てて補償も十分にして来なかったのだ。日本人の元軍人とは補償の度合いが違う。これは最高裁まで争われたが、充分に補償はされとは言えない。国家権力というものは個人の生きるという事に対して、暴力的に自由を奪うことがある。一人一人に生きる人生がある。日々の自由な暮らしがある。その一切を踏みにじたのが国家権力である。戦争で尖閣諸島を日本のものにするというようなことが、個人の人権を踏みにじることよりも大切であるはずがない。
領土問題は勝利しようが、敗戦になろうが何も変わらない。人間の欲というものは国家という事になれば醜く肥大化する。住む人もいない、持っていれば負担になるだけの島であっても、自分のものだと主張したがるものだ。もちろん、日本だけではなく、世界中の国がそういうものだ。あれほど広大な面積のロシアが、小さな色丹島一つでも死守したいのだ。どう考えても経済のマイナスである。そのさしたることもない問題の解決の為に、軍事的な緊張を高め、自衛隊を強化することがどれほど割に合わないことであるか。軍事力で恫喝する前に、憲法が指し示すように、平和的な努力をやってみるべきだ。安倍晋三氏は総理大臣にもかかわらず、少しも平和的努力をしない。努力をしないどころか、緊張を高めて日本を軍事国家にしたいの一心である。その理由が何と自衛隊員の子供の思いというのだ。それはあの従軍慰安婦像で悲しむ、駐在員の子供を持ち出した時と同じだ。感情論で国の安全保障を論議してはならない。国民にとってこれほど迷惑な考え方はない。日本が敗戦した日に、かつての戦争がどれほど馬鹿げた不幸なことであったのか、想像力を働かせるべきだ。
1945年に日本は戦争に敗北をした。当時はそのことを身に染みて後悔し、反省をした。世界に対して謝罪の気持ちもあった。しかし、戦争に敗れたことすら、ボツダム宣言を受け入れたのであり、負けた訳ではないというようなことを主張する人が登場している。日本はとことん敗北したのだ。2発の原爆を投下され、立ち直れないかと思うほどに敗北したのだ。戦争をまたやりたいと考えている人間はそのことを肝に銘じなければならない。戦争を何故やってはならないか。それは戦争によって今ある問題は解決など出来ないからだ。例えば、領土問題を考えればわかる。戦争に勝とうが負けようが、解決などにはならない。敗者はいつまでも、あの領土は自分のものであるというだろう。もし解決というものがあるとすれば、その国家の人間以外すべての人類を消滅させた時かもしれない。ヒットラー思想である。世界が一国家、一民族になる様なことは現実的ではない。譲り合い、分かち合う事しかないのだ。