畔の大豆

   

畔に播かれた大豆が発芽をした。種類は岩手ミドリ。播種日が14日だから、写真を撮った、26日で12日目である。江戸時代の農家は1反の田んぼがあれば、畔に大豆を作り、味噌醤油を確保できたという話を読んだことがある。アゼクロ豆である。草の中に穴をあけて蒔いてくれた。自分でやろうと考えていたのだが、大豆の会の播種が手間取り、田んぼの方までは到底間に合わなかった。それでたまたま田んぼ下の畑で作業されていた、上野さんに播種をお願いした。できる範囲でという事でお願いしたのだが、田んぼの畔にほぼ全部に播いてくれた。嬉しくなる。みんなでやっている有難さである。これで田んぼの見回りの楽しさが倍増する。出てきた大豆の周辺だけ、草をむしり取っている。畔の高さが、ちょうど目の高さにある畔がある。ここを観察の場所にして大豆の生育の姿を昨年もよく眺めた。これがなかなかいい。例えば、大豆の花というものは、後の後から、下の方の主軸の茎から花がついて、実をつける事を知った。

これは大豆畑の小糸在来。農の会で20年くらいは種を継続しているものだ。収量は少ないが、味が良いので続けている。黄色の線は鳩除け。実は発芽しなかったところに苗を植え付けたものだ。雨がやっと降ってくれたので、根付いたようだ。大豆の種の保存を失敗したために、農の会の大豆はほとんど発芽をしなかった。失敗の原因は種子が乾燥していなかったためらしい。大豆種子は11%まで乾燥して保存。しかも乾燥剤まで入れて保存するとあった。迂闊な失敗であった。それでも、吉宮さんの種と、森田さんの種を太田さんが準備をしてくれていた。太田さんの用意周到な準備のおかげで何とか今年も畑の大豆は間に合いそうなところまで来た。有難いことだ。大豆の種保存が何故ダメだったのか、あれこれ考えているが、まだわからない。実は昨年も発芽が悪かった。それも同じ原因かと思う。保存場所は古い冷蔵庫を改造して、15度に維持できるようにしたものの中に保存してあった。どうもこの冷蔵庫の環境が悪いのか。もう一つは大豆の水分が多く、乾いていないまま保存したために起きたのか。みんなに申し訳なくて。播いた種にカビが生えてきて枯れてしまう。

苗床はこんな感じで湿気た場所に作った。この場所は欠ノ上田んぼの下である。一番水分のある場所。ここに前回残っていた吉宮さんの種を太田さんがまいてくれた。そしてよく苗が出来た。それで試しに、農の会の残った保存に失敗した大豆をすべて播いてみた。いくらか発芽するのか。ダメなのか。見てみたい。いくらか出てくれば、捕植用には使える。森田さんの種の分が総生寺裏の畑で、70%くらい発芽した。その種は100グラムほど余り、諏訪の原圃場にも播いた。ところがこっちは全く発芽しない。畑の何が違うのだろう。土壌は同じように乾いていたのだが、何か不思議な気がする。

畔草の中に埋もれたように発芽した。草の中に播いたものは、草に埋もれていることもあり、ある程度は発芽するようだ。それでも播いた種の半分ぐらいの発芽かもしれない。

 

このあたりの畔にはぐるりと大豆が生えてきている。緑大豆だから、上手くできたら豆腐にしたいと思うが、どんなものだろう。緑のお豆腐はなかなか良いものだ。手前が種籾の田んぼ、左側が1本植、右側が2本植。2本植の方がまだ色が濃い。そして中央が、1本植のいつも生育の良い田んぼ。色の濃い奥の方が、もち米の2本植。その隣は3週間遅れて田植えをした岡本さんの田んぼ。ここもずいぶんよくなってきたが、1本植であった。田んぼ全体で200本ぐらいは出てきているだろうか。これだけで10キロにはなる期待。大豆の会は2000本で100キロがどうしても必要な量。実際には苗は4000本はあるので、上手く進めば200キロの可能性がある。

 

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