捨てられる不動産の時代
所有者不明の不動産が多数存在している。誰のものなのか不明の家が街の中で荒れ果てて存在する。危険だというので、それを行政が費用をかけて取り壊さざる得なくなっている。所有者不明の土地は、九州と同じ面積だそうだ。近々北海道と同じになる。いまさら北方領土やら、尖閣諸島という時代ではなくなった。今ある日本をどうするかである。コンパクトシティーというものが始まっている。特に雪の多いい地域では、過疎地域のインフラ維持が不可能になってきた。お年寄りが山の中で暮らしているとしても冬場孤立してしまい危険になっている。と言って道路の除雪にも限界がある。そこで町の一定の範囲だけを整備することにして、そこにできるだけ住んでもらおうという政策である。地域崩壊が進むなかの防御的政策である。地方都市の維持のためには周辺の辺境部は放棄せざる得ないという事だ。しかし、こういうことが進められる地方都市はある程度の規模の都市だ。一定規模以下の都市ではそうした手立てすら打つ余力もない。その地方都市自体が消滅しかけている。
こうして地方の山村部の過疎はさらに進むという事だろう。人口減少はさらに進む。7,8千万人まで減少すると考えておかなければならない。国のやっていることを見れば、それを変えることなど出来ない。そして、東京への、また地方の中心都市への人口集中はさらに進むはずだ。あと10年もするとこの流れは顕著になるはずだ。国が経済優先だけで動いている結果である。地域の将来を考える上では、あらゆる分野で人口減少を前提として、その中での自分の暮らしを考えた方が良い。人口が半減すれば、ごみも半減して、今のままではごみ焼却場自体が維持できなくなる。経費の維持が負担になる。都市インフラに対する考え方を変えざる得ない。道路、学校、病院、必要なものを止めて行かざる得ないだろう。行政サービスどころか、行政はサービスをどう切り捨てるかの時代に入る。大都市以外の不動産というものが放棄される時代に入る。不動産を資産と考えていた人たちには受け入れにくい状況が現実化してゆくだろう。これは新たな農地解放のような事態が来たことになる。日本の農業を新たな枠の中で考えるチャンスになるはずだ。
農地や山林ではすでにそうした方向は現実化してきている。山林は放棄された場所が農地以上に広がっている。林業としての維持は困難になる。無意味な公共事業などやれない時代が近づいている。利用の少ない道路は放棄されるような時代に入る。小田原の農地は業としての維持は困難になる。遊休農地と呼ばれる使われなくなった畑が増えれば、サルや猪やシカの活動する場所になり、周辺も耕作が出来ない農地になる。何とか、地域全体で守るべき畑をの範囲を決めなくてはならない。スマートシティーと同様の考え方だ。一定地域の畑は何としても耕作すると決める。その中の畑が農業者には効率の悪い畑であれば、市民的な利用にも道を開かなくてはならない。守るべき農地の所有者には、遊休農地の場合課税の強化をする。また、守るべき地域の農地が相続などで農業者以外が相続する場合、利用の可能性がない農地については、行政が物納を認める。物納された農地は、行政が利用促進策を工夫する。
農地を新たに2反6畝お借りすることになった。農の会全体では毎年、1町歩くらいの農地の利用を増やしているのではないだろうか。市民や新規就農者の中にはまだ農地利用の余力があるという事だろう。市民に対して農地利用のお手伝いをすれば、まだまだ利用は増加するはずだ。市民の農地利用が無秩序に進むことにも問題がある。きちっとした農地管理がされるような農の会的な法人組織が必要なのだろう。新規就農者が農地を荒らしているのも目立っている。現状では放棄されるよりは良いというので、相対で契約書もないままの貸し付けが、かなりの面積行われている。農業委員会でもこれを承知はしているが、地域の維持のためには仕方がないとしている。これは決して良いことではない。耕作もあいまいなものになっている事例もかなり見受けられる。不動産が資産であった時代が終わろうとしている。新しい時代に応じた農地利用を考えなければ、放棄住宅以上に街の周辺農地が荒れてゆくことになるだろう。