出来なかった宿題
小学生の私は宿題を忘れてしまう子供だった。家に帰れば学校のことをすっかり忘れてしまい思い出さなかった。もう何をして遊ぶかばかりだった。翌朝学校に行く段になって、そこにあるカバンをそのまま持って行く。その日の授業の教科書が分からないから、大体は学校に置いてきてしまう。忘れ物は毎日のことで、自分ながらに手の負えない子供だった。後先が続かない何か病気だったのではないかと今は思っている。聖路加病院の精神科に連れて行かれたくらいだから、私自身の気づかない心配がほかにもあったのだろう。聖路加病院にはいとこにあたる人が、看護婦さんをしていてきっとその人に相談して、連れてゆかれることになったのではないかと思う。自分でもそのころのことを思い出すと、いつも頭の中がグルグル回っていて、物を続けて考えられないような状態を思い出す。何かしら毎日落とし物をしてしまう。何かが頭に表れて、他のことが分からなくなっていた気がする。いつの間にかそういう事は無くなり今に至る。と思っているがそうではないかもしれない。
なぜ急に子供の頃の病気のことを思い出したかと言えば、忘れたのではなく出来なかった宿題があったからだ。それは国語の宿題だった。小学校4年生の初めのころではないかと思う。句読点の問題である。句読点を入れることで、2つの意味になる文章を考えて来なさいという宿題が出されたのだ。難問である。これにはまってしまった。「文章の句読点の入れ方で2通りの意味になる文章を考えなさい。」もうこのことが頭に離れなくなって、1ヵ月ぐらい考え続けた。今もその宿題を解いていている事がある。まとわりつかれて考えていた。それでそのおかしな宿題が忘れられないのだ。ところがそんな文章はどうしても思いつかなかった。いよいよ、先生は黒板に順番に名前を呼び、みんなが考え付いた言葉を書いていった。だんだん私が近づいたのだが、その時、私がまた宿題をやってこなかったと思った隣の確か斎藤君が、自分は2つできたからこれを言えばいいと教えてくれた。
ところがその言葉を見ても、それが正しいとは思えず、順番が来てできませんでしたと答えるしかなかった。出来なかったのは私ぐらいだった。しかしその黒板の事例がすべて間違っていると私には思えたのだ。その宿題には今も答えられないでいる。クラスの人たちの正解は意味が2通りになる単語を答えていたのだ。しかし、そんなところに句読点が入るとは私には思えなかった。「川霜野村の子供たち」を「川下、の村の子供たち」に置き換える。これなら正解という事だった。これではないのだ。文章全体の句読点を頭の中で想像し続けた。文集の意味が変わるという事ではないのか。普通の句読点の入れ違いで、意味が違う文章を考え続けた。要するに発想が固まってしまい、柔軟性がない。この文章を読み返しても句読点の入れ方で2通りの意味になるものはまず見当たらない。ところがその後何かの文章を読んでいて確かに発見した。極めて難しい国語の問題だと思う。
絵を描いて居るとこういう状態が常である。どちらでもいいようなどちらでも悪いような。回答があるようでないようで、頭の中がグルグルと渦巻き続ける。分からない難問を眺め続けている。だから私が絵を描くというのは、ほとんど絵を眺めているという事になる。もがくこともあるが、大抵はぐうたらしながら考えている。行動として絵を描いて居るのは1,2時間である。絵を眺めているのは1か月であり、1年である。ものによっては数年後にその回答が見つかる絵もある。突然これはダメだ、回答がないと、分かることもある。しかし、数学者は難問を解くという事に人生を費やす。解いて意味が有るのかどうかは分からないが、ともかく難問にかかわってしまうのだろう。絵も数学の難問に近い気がする。回答に至る道はさまざまである。数学の難問と同じで、回答に意味が有るのかどうか。たとえ回答に至ったとしても、その回答は大多数の人にはどうでもいいことなのだろう。ただ、絵にかかわり始めてしまい、解かずには死ねないような気持である。