天皇生前退位
平成天皇の生前退位が話題になっている。NHKから話が広がったと言われているようだが、天皇の考えを憶測するという事は上品なことではない。意図的に行われたことだとすると、こうした進め方には、正規のルートで話が決裂したが故のことであろう。推測するに、女性天皇の問題を含め、象徴天皇の位置づけを心配してのことであろう。まして自民党では天皇を元首にする方針である。それは国民統合の象徴として天皇を、政治利用するという事ではないのか。天皇の在り方に不安が広がっているのであろう。。憲法にある象徴というものはどのようなものであろうか。 日本国憲法の1条から8条までという冒頭に天皇の位置づけがなされている。
第一章 天皇 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
日本国憲法では9条の武力を放棄宣言につながる。日本国憲法が全く独特の構造の憲法になっていることが分かる。自民党草案では、天皇を元首と位置づけ、その役割はさらに多岐にわたる長文になっている。明治の日本帝国憲法に近づけようという意思がある。現行憲法のままで天皇の退位は可能である。退位は皇室典範第4条で、天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。とある。ただ、病気などで任に堪えない場合は摂政を置くことも決められているから、国事行為の役割を摂政が代行することは問題はない。
天皇の活動である国事行為が余りに重いものになっている。これは昭和天皇に比べても重くなっているらしい。昭和天皇も晩年生前退位が問題にされたことがあったが、天皇の位置づけに微妙なところがあるときに、生前退位すれば、議論を生ずることになることを配慮され、晩年まで無理をされながら、退位されず崩御された。天皇の国事行為を減らすべきだ。憲法で定められたもの以外は国事行為から外す。また皇室の宗教的な儀式などはあくまで皇室内のこととして扱う。災害地へのお見舞いや、戦没者の慰霊なども、あくまで象徴天皇の私的行為とする。
天皇の姿が日本人の象徴であるということは、日本人というものがどこを目指すべきかの姿を示している。天皇が政治に直接関与したことは、明治時代まで例外を除いてなかったことだ。あくまで摂政や征夷大将軍等を置いて国の運営に直接関与はしなかった。明治政府が天皇の歴史をゆがめて、教育した影響が今に残っている。天皇家及び貴族は日本文化の素養を磨き、弱き者に心を寄せ、先祖を敬い、未来の平安を祈る。自然の霊性を重んじ、稲作を行う。武力によって日本を統治したのではなく、文化の力によっておのずと尊敬の対象に成り、日本教の神的立場となった。皇室は政治の世界の東京から離れ、京都に戻られることが良い。京都に戻られ、日本を正しい文化によって導く象徴としての役割をお願いする。これらのことは江戸時代の天皇の姿である。天皇さんと江戸時代の京都では尊敬の心を込めて呼んだそうだ。象徴とはそういう事ではないだろうか。