看板を作る。

   

アクリル絵の具で描いた。アクリルの筆である。実に描きにくいのだが、描きにくいところが良いと思いながら描いた。

看板を上げるのは大切だと思っている。自分がやっていることをご近所にも表明することになる。越して来て作った看板が良く見えなくなったので、新たに作り直した。森林組合をやられていた、石綿さんのお父さんから頂いたものだ。石綿さんのお父さんも家具などをいろいろに工作することが好きな方だった。ときどき伺ったときにベンチの作ったものを見せてもらったりした。あるとき板を何枚か石綿さんが持ってきてくれて、何か作って見たらと言われた。その木を組み合わせて本棚を作り今でも使っている。その余りの木があったのだ。今回看板にした。看板にどうかというのは石綿さんのお父さんの意見だった。10年も経ってやっと実現できたことになる。左に三角を2つ重ねた印があるが、これが私のサインである。出という文字である。絵に入れるのにこの字を使っている。看板にサインもおかしいが、空いていたのでつい入れてしまった。

これが私の家の入口である。坂の上でとても分かりにくい家なのだ。通りから外れていて、上の行き止まりの家だから、いろいろ安心の家である。わずかだが海まで見えるのだ。下を赤く塗った所が目印である。訪ねてくれる人に入り口のコンクリートが赤く塗ってある家だと説明している。のぼる道幅は3メートルである。

間知石が積まれている。こうしてみるとコンクリートブロックよりは風情がある。今こういう自然石はなくなっているだろう。前の通りは左奥に見えているのが、箱根の明星山である。この前の路はバス通りで、150メートル手前にバス停の舟原日向がある。30分に一本あるから、それなりに便利だ。現在舟原の集落は90軒ほどの家がある。環境が良く、山からの湧き水がある。田んぼも畑も十分にあり、農家には暮らしやすいところである。そのせいか、越してきたころは60数軒と言われていたが、毎年2軒は増え続けたという事になる。人口増加地区である。

看板の木はブナと聞いていた。何しろ硬い。ケヤキなどより硬い。貰った頃は木が捻じれて困った。それでも今では本棚はいい風合いである。どんな樹木でも木というものが好きだ。これが金属とか、石とかの看板ではいい気持がしない。そういえば、中学生の時に大理石に父が字を書いてそれを彫ったことがある。それは1メートルはある大理石で、作りごたえはあったがどんなものだったかも忘れた。しかし、長らくそれが松陰神社の家の表札であった。あしがら農の会と入れてあるのは、事務所所在地になっているからである。時々手紙が来るからだ。水彩人の事務所もやっているので入れてもいいのだが、あと1年なのでそれは止めた。こうやって看板を出すと、早速、明細地図に看板名を入れてくれる。看板は地域全体のの目印になるという事なのだろう。

 前回の看板は大雄山の杉板だった。10年くらいしか持たなかった。この看板は最初墨で描いてなかなか良かったのだが、一晩の雨で字が流れてしまった。それでアクリルで描きなおした。今回もそうだが、アクリルではあまり良い字にはならない。その余り良い字でないところが良いと思っている。看板が良い字では嫌らしいと思っている。気取った字の看板というのもあるが、あまり好みではない。看板の中に大きな節穴があった。今回は二股である。節穴やら、二股で、どうやら自分のことのようである。しかしこの上下に分かれた形が絶妙だと思っている。このままでは腐ってしまいそうなので、昨夜ニスを買ってきて一度スプレーをした。まだ雨が降ってきていないので、この後でもう一度できればと思っている。あと10年くらいは看板の役をしてくれればと思う。

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