戦後70年談話
安倍氏は70年談話有識者懇談会に対して、5つのテーマを上げて検討を依頼した。
▽20世紀の世界と日本の歩みをどう考え、その経験からくむべき教訓とは何か、▽戦後日本の平和主義、経済発展、国際貢献をどのように評価するか、▽戦後70年、アメリカ、オーストラリア、欧州の国々、また中国、韓国をはじめとするアジアの国々等(とう)と、どのような和解の道を歩んできたのか、▽21世紀のアジアと世界のビジョンをどう描き、日本はどのような貢献をするべきか、▽戦後70周年にあたって日本が取るべき具体的施策はどのようなものか。
しかし、未来志向の5つのテーマに絞って検討を要望したのだが。肝心の、70年前の戦争をどう考えるのかという、一番肝心の重いテーマを落としている。これでは一体何を有識者に考えてもらおうとしているのかがわからない。安倍氏のブレーンはこうして巧みに、政治を自らの方向に引き込もうとしている。過去の日本が犯した、侵略戦争と言う歴史認識を継承するのか、あるいは覆すのか。この事が、世界中から着目されている。何故、安倍氏はこの歴史認識問題に向かい合おうとしていないのか。日本の戦後は、侵略戦争を行い、しかも敗戦という結果に至る過ちから、再出発をした。その事を、明確に認め、謝罪し、国際社会に受け入れられる事になった。しかし、その反省が、近頃安倍政権になって、危うくなっているのでないかと言うのが、国際社会の不安と指摘である。
安倍氏の本音が、侵略戦争などしていない。反省などする必要がないという事であろうと、多くの日本国民は感じているだろう。また、一部の保守的報道機関など、盛んにそうした世論の形成を画策している。自国の間違えを指摘されて面白い事ではない。出来れば否定したい気持ちはある。間違えであって欲しいと願う気持ちさえある。しかし、これは厳然たる日本国の行ってしまった、侵略行為である。そうではないという、歴史解釈が盛んに行われているのだが、少なくとも、村山、小泉、両総理大臣談話で痛切な反省をしたはずである。所が、その反省を忘れた。あるいは間違いであったという本音の、総理大臣が登場しているのだ。これでは、日本が国際社会に復帰できたこと自体が、詐欺行為であるという事になる。
過去の戦争の事で、何故日本ばかりが、いじめにあわなけばならないのかという意見を聞いた事があるが、それは侵略戦争に対する、日本の認識と反省が曖昧になってきているからである。従軍慰安婦問題でも、正面からこの問題に取り組まずに、逃げ腰でごまかそうとしていると、世界から見られている。日本政府が世界の孤児になるとも、歴史認識を覆そうと言うのであれば、それはそれで、国民も覚悟をしなければならない。間違えを間違えとして認め、出来る限りの謝罪と償いをするのが、日本の勤めである。それが出来ないという総理大臣しか、国民が選べないというのであれば、残念ながら、日本国と言うものが終わりが近づいている、という事になる。
安倍氏のブレーンのずるがしこい指示は、誰しも認めたくない、過去の過ちを覆い隠すように、未来の構想を中心に検討し、談話を出そうという作戦である。多分この未来構想は、誰でも受け入れれられるような、玉虫色の例の積極的平和主義の様な、意味不明の物になるのだろう。日本が70年間平和にやってくれた事は、自民党がいくら嫌がる事であろうとも、憲法の歯止めがあったからだ。過去の自民党は、憲法を巧みに利用した。確かに、ゆがめて自衛隊の設置まで行い、海外派兵までしたが、それでも何とか軍事行動までは行わないで済んできた。それが、いよいよ憲法解釈の変更を行い、海外で戦争を行う可能性が出てきている。憲法は100年は続けてみることだ。後30年である。その上で、未来世代がその時代にふさわしい修正をすればいいと思う。