カジノ法案の提出
小田原にも儲からない、風前のともし火の競輪事業がある。何の為にこういう事業を続けているのかが分らない。小田原の風光明美な、文教地区にあるのだから、時代に合わせたもっと良い利用法はあるはずである。何故その知恵が出ないのだろう。加藤市長は最初の立候補の時、競輪事業には反対を表明していた。その時は落選した。2回目で当選した時も競輪事業は止めるべきと主張していた。当選したのだから、やるのかと思ったのだが、何もやらなかった。そうして、再選時には、競輪については発言が無くなった。こういう姿は見たくなかった。こういう場当たり的な姿を見て、市のやることに協力する気持ちは失った。バカバカしくて、どうでもいいという気分である。国も、カジノに熱心なようだ。超党派で健全賭博をやろうというらしい。こういう馬鹿げた儲け話になると、盛り上がる人たちがいる。国が賭博を奨励するようでは、教育改革どころではない。
自民、民主、公明、日本維新の会、みんなの党、生活の党などの国会議員約170人の超党派の「カジノ議連が存在する。安倍晋三首相、麻生太郎副総理兼財務相、生活の党の小沢一郎代表らが最高顧問に名前を連ねている。 カジノを国が関与してやろうなどという国が美しい国であろうか。何としても止めてもらいたい。賭博は人間の成長にとって悪影響がある。まじめに地道に暮らして行く人間をあざ笑うものだ。生活というものを破壊する。路上生活をしている人の中にも、結構ばくちで身を滅ぼした人がいる。そもそも、株式投資は博打である。資本主義経済というものは、健全な人間を阻害する要素がある。資本主義の頑張れば豊かになれる、という意識を良い形で育てる為には、工夫が必要なのだ。タガを外して、自由な競争だけを前面に出せば、階級社会になる。拝金主義になる。何の為に人間は生きるのか。この根本がお金というものに翻弄され、いやしい社会になる。
なにもきれい事だけで良いとは思わないが、せっかく日本にはカジノが無かったのだ。この美風を残すべきだろう。カジノをやりたい人は、是非ラスベガスでも、マカオでも行ってもらえばいい。やれるところが海外にある位の距離関係がいいところだ。日本国内にも、スロットマシーンやパチンコ、競輪、競馬、競艇、宝くじと色々の賭博がある。身内の恥をさらすようだが、パチンコで親戚一同に、繰り返し苦労させた人がいる。頼れる親戚はすべて、この人の救済に協力せざる得なかった。サラ金で借りては、借金を膨らませてしまうのだ。一種の麻薬のようなもので、借金を返せなくなって、その都度もうやらないと心より反省し、お金を出してもらうのだが、又やってしまう。最後は息子の暮らしにまで迷惑をかけた。親戚一同、悩みのタネであった。サラ金に貸さないようにお願いにまで行ったのだが、結局だめだった。貸す側にしてみれば良いお客さんだっただろう。
美しい日本にカジノはいらない。美しい小田原に競輪は似合わない。来年にはこの法案が国会に提案されるそうだ。こういう情けないお金になるなら、何でもいいという日本の方向をどうにかならないものだろうか。悪所が要らないというような、潔癖主義で拒絶する訳ではない。小田原競輪が小田原の印象を悪くしているマイナスを痛切に感じる。あの競輪場の場所に、もっと利益をあげて、小田原の良さを引き上げるような施設は、考えることは可能だ。小田原が魅力ある街になる為には、わずかなお金に翻弄されてはダメだ。小田原を愛し、小田原の為と思う人が増える為には、賭博的要素はもうやめにした方がいい。それは、日本という国に広げても同じだ。誇りある日本というものを考える上で、カジノはいらない。日本が立派な美しい国になる為には、新たな賭博を公認するなどもってのほかである。今ある賭博をいかに縮小するかが、むしろ課題である。