安倍靖国参拝の本意
安倍氏が何故、靖国神社に参拝をしたのかをもう少し考えてみる。結論を先に書けば、憲法9条の改定を意図している。戦争の出来る普通の国になりたい、ということだろう。変えるべき憲法の内容と言えば、自民党草案に示されている。自民党草案にあるような国に、日本をしたいということに尽きる。そのための世論形成が必要だと考えての行動である。そしてそのシナリオを進めている過程の一つに、近隣諸国との緊張を高めるという戦略がある。石原氏の尖閣購入事件に始まり、緊張の筋書きが着々と進められている。今のところ、国民の反応は残念ながら、そのシナリオ通りに進んでいる。尖閣や竹島の領土問題を表面化させる。中国漁船の体当たり事件などをきっかけにして、中国や韓国の不当を宣伝する。中国の軍事大国化、暴動、良いチャンスをつかんで事をさらに荒立てる。初期段階のシナリオにすべてが、織り込み積みであったのだろう。そして、報道は近隣諸国の不正義を言いたて、また中国、韓国、北朝鮮の軍事強化や人権問題、ゆがみを必要以上に騒ぎ立てている。まるで戦前の社会の空気ではないか。
幕を開けた、近隣諸国との軋轢状況はいよいよ来年は第2幕であろう。安倍氏の靖国参拝など、幕間のようなもののはずだ。これから、通奏低音のように存在した集団自衛権の見直しが来年には始まる。当然軍事費もさらに増加する。国連軍への軍事的参加も、近づいてきている。その助走のように、韓国軍への銃弾提供だろう。すべてのストーリーが、軍事大国になる道をひた走っている。すくなくとも世界の反応はそこにある。何故、軍事国家にしたがるのだろうか。それは、安倍氏自身の持つ保守思想のゆがみの問題である。この人は自他共に認める、日本主義者である。いつかは明治日本帝国を復活させようという思想だ。敗戦によって一度は死に絶えたはずの、亡霊のような、古臭い武力主義が、今の時代に通用する訳が無い。時代を逆行させるつもりなのだ。アメリカが内政干渉的に、安倍氏の右翼体質を危険視しているのは、安倍氏の今までの行動すべてを、十分にスパイして出した結論である。
戦没者霊園でなく、靖国神社でなければ、何故いけないのか。ここに問題の本質がある。戦没者に対する慰霊の気持ちは、日本人すべてが持たなければいけない。しかし、それが何故、靖国神社でなければならないかが、問題である。靖国神社の本質は、明治維新以来の軍人を、軍国主義の英霊として祭る神社なのだ。そういう軍国主義を統括する意味の、明治帝国主義を支えた日本独特の宗教組織なのだ。そうした背景を抜きに、議論をすり替えて、戦没者を総理大臣が慰霊するのは当然だと、主張しても筋違いなのだ。戦没者霊園では、安倍氏が参拝する意味が無い。空襲で死んだ人と、軍人の死とを分けて考えている。日本の保守思想のよりどころとしての、靖国神社の存在を見なければ、このこだわりの意味が理解できない。今沸騰しているだろう、靖国に首相が参拝するのは当然だとする、操作された議論は、靖国という宗教法人の意味を、あえて触れないようにした議論なのだ。こういう抜け道的な手法が、自民党の常とう手段である。
すべての前提として、自民党保守派は軍事大国を目指しているというところにある。このことをぬきにして、安倍氏の一連の行動の意味は、見えてこない。ただ戦争で亡くなられたすべての人に、尊崇の念を表現しているというのであれば、宗教法人の靖国神社にこだわる必要はない。私は近隣諸国やアメリカの抗議など、ある意味どうでもいいと思っている。日本という国がどこを目指し、どういう国になるべきなのかを、正面から議論すべきだと考える。第2次大戦で亡くなられた方々をそのことに利用してはならない。靖国へ今参拝するということは、日本を軍事国家にするために、近隣国との緊張を高め、戦没者を利用しているということになる。そんなバカなと、まだ考えている人はいるかもしれないが、安倍氏を代表とする、保守派は本気でそういうことを考えているのだ。やり方が卑劣ではないか。