辺野古埋め立て承認へ
沖縄県知事は辺野古埋め立てを承認した。その主たる動機は、沖縄振興策に関しては、2021年度まで毎年度3000億円台の振興費を確保するほか、来年度予算案で概算要求を上回る3460億円の予算を計上したことにあるとしか見えない。これは弱いところにお金で嫌なものを押し付ける、原発と同じ構図ではないか。基地は嫌ではあるが、お金が入るなら我慢しようということに、知事が判断したということに見える。今回知事が辺野古移転を受け入れを認めた以上、沖縄県は基地負担を認めたということに繋がってゆく。市街地の中にある普天間基地のの移転を優先したと発言したが、県外移設を主張していたことを忘れたのだろうか。現実には沖縄の基地軽減がされないとしても仕方がない、ということになる。これだけ沖縄に偏った基地負担は異常事態である。安倍政権が近隣諸国との緊張を高める方針である以上、アメリカの基地が減るとしても、さらに自衛隊の沖縄の基地は強化されると考えて置いた方がいい。
原子力発電所ですら、誘致する自治体がある。青森のように再稼働を希望する自治体がある。福島の人たちの中には、東京の人たちの為の電力で、なんでこんなひどい目に合うのかという事を言われる人がいる。しかし、誘致し受け入れ、補助金をもらっていた市町村にはその責任が存在する。沖縄県も今回多額の沖縄振興の為の補助金をもらったということは、基地が沖縄に集中していることを、受け入れたのだという理解になる。又、米兵による様々な被害が起きたとしても、お金をもらっているのだからある程度は受け入れるべきだ、という話になりかねない。六ヶ所村の実態を考えれば分る。六ヶ所村行政も、青森県も、再稼働を希望している。それは補助金が無ければ暮らせないという実態が作られているからだ。沖縄も本土並みの生活を、補助金によって実現できたとすれば、ゆがんだ依存体質の地域になる。決して沖縄の未来の為にはならないとおもうが、沖縄自身が判断することなのだろう。名護市長選が近い。
辺野古移転には、沖縄の北部振興の問題がある。沖縄には、那覇を中心とした、南部地域の都市化した地域と、北部のやんばる地域の未開発地域が存在する。沖縄本島と一言でいっても地域差、人口密度の違いは、かなり大きい。極端にいえば、都市部の人たちにしてみれば、基地が都市部から減少し北部に移転してくれるのであれば、県外移設の次善の策に近いものという意識があるのではないか。原発誘致をする、過疎地域と同じで、北部地域でも地域開発の為に、辺野古の基地を受け入れるほか道が無いという意識がある。それが名護市の市長選に現われる対立軸だ。又、同じ名護市といっても、市街地域である、西部地域と、辺野古のある東部地区では、山を隔てた別地域となっている。辺野古の基地が直接には大半の名護市民に影響はしない。名護市は北部やんばる地区の開発業者が多数存在する。人家の少ない辺野古地区は静かな入り江を中心とした、漁村である。漁業組合にしても、中心になっているのは南シナ海側であり、辺野古は異なった太平洋側の少数派なのだ。
弱いところに厭なものを押し付ける。それで利益が自分に来る。辺野古さえ我慢させれば、沖縄全体の利益になる。こういう構図が見え隠れする。これは日本全体で起きている、利権構造の姿である。能力主義、拝金主義、新資本主義、格差社会、過疎の廃村。すべては似ている。日本が世界の競争で勝つためには、弱者は弱者としての立場をわきまえて、我慢をしろという論理である。それでなければ日本全体が、世界の競争に負けるという恐怖である。これは辺野古という漁村の問題だけではない。日本がどこに向かうのかをよくあらわした問題である。この問題を仕方がないと受け入れるということは、いつかは自分が同じ弱者としての圧迫に会い、誰にも助けてもらえない事態になる。仲井間知事は沖縄の為だと、沖縄に安倍氏が心を寄せてくれたと、発言したが大いなる誤解だ。このままでは、沖縄の心はお金で買われたという以外に見えない。どれほど沖縄の誇りを傷つけたたことになるか自覚すべきだ。