サーベラスと西武
西武鉄道の一部廃止を、アメリカの投資ファンドであるサーベラスから西武ホールディングスの公開買い付けが表明されている。西武側は反対を表明している。サーベラスは3分の1の株式を所有して、経営に対して拒否権を発動できるようにしようとしている。理由は西武の経営に対して出した意見が無視されているからのようだ。もともと西武鉄道株を本来80%以上を個人が所有した場合、上場が停止されることを、虚偽記載でごまかしていた事件が発端である。社長の堤氏は解任逮捕された。その後、経営が危機となり、持ち株会社として再出発する過程で、約1040億円を出資したサーベラスは、西武の32.42%を保有する筆頭株主になる。しかし、再上場の申請の前にして、サーベラスは鉄道の廃止路線や西武球団の売却など、経営に提案を行う。
独裁的経営者堤氏による日本的経営の失敗と、利潤だけを目的としたアメリカ的投資会社との、考え方の違いがこの騒動を象徴的なものにしている。鉄道のような公共性のあるものを、企業利益の観点だけで判断すべきではないとする。日本的な主張。そして、利益を第一とするためには、不採算鉄道路線は廃止すべきとする、サーベラス。サーベラスの主張が本当に儲かる方向なのかどうかわからないが、正しい資本の利潤に従う判断であるとしても、公共性のために不利益を継続すべきかどうかである。小田原周辺でもバス路線など、利益が出ていない路線は多いい。そのために廃止され、短縮されている路線も数多くある。公共性と利潤の問題。国家と資本の関係。もし、公共性を優先すべきであれば、資本主義というものの見直しが必要になる。資本の利益が国家の利益を損なう場合、当然、国の利益は考慮に入らないということだろう。このあたりの、確認がないまま、その場の都合のよい解釈できたのが、日本の資本主義ではないか。
日本にある企業は、企業が栄えることがそこに勤務する者の利益であるとして、企業経営を優先してきた。それは、世界での企業の競争において、日本企業が勝ち抜かなければ、結局は日本という国の経済がダメになるという論理で、企業優先の法人税の減税まで行うことを優先した。復興特別税が行われる中、法人は減税になる。それを国家のためとする根拠がもし、不利になれば企業が日本から出てゆくからというのであれば、企業の公共性ということは、何を理由にしているのだろう。ホリエモンが日本放送を買収しようとしたことがあった。あの時も放送という公共のものを、利益だけを目的にした人間に、買収されていいのかということが言われた。病院の経営をサーベラスのような会社が所有して、利益優先の経営をして良いのかということだろう。
資本主義というものが、能力の高いものの競争論理である故に、尖鋭化すればするほど、落ちこぼれる大多数の人間をどうしたらいいのかが問われる。では、徳をもっての経営というような道義性と、資本の利潤をどこで、整合性を取るかである。法律で縛らない限り、資本の論理はあらゆるところに入り込んでゆく。欧米ではキリスト教的福祉意識のようなものが、社会のセイフティーネットとしてあるようだが、外国の資本が唯利益を求めて、日本のような曖昧な社会に登場すれば、弱者は淘汰されるだけになるだろう。今まではかろうじて、日本社会の支えあう気持ちで維持されたが、この先そういうものには期待できなくなるだろう。松下幸之助氏とホリエモンの違いである。ホリエモンは昨日出所した。昨日は悪酔いしたので、何を書いてのかよくわからない状態である。