生ごみプロジェクトについて

   


市長の手紙

生ごみプロジェクトは3年で事務局を降ろさせてもらうことにした。3月27日の最後のサロンが終わった。自分の役割が一つ終わってほっとしている。市民協働ということを自分なりに追及して、一つの事例を作るつもりで進めた。それなりの成果と、限界があった。その基本は市民協働ということを行政が良く理解していなかったということが一つ。もうひとつが、行政に経営感覚が欠けていたということである。小さな行政にならざるえない財政状態で、行政でなければやれない仕事とは何か。これが理解されていたない。市民でもやれることや、市民がやった方がいいことを行政がやっている。行政でしかやれない、行政がやるべきことへの自覚と研究が不足している。法的な確認。情報の取り扱、契約の整理などは行政がやる。名簿管理など行政の役割ではないだろうか。市民が法人組織を作り、プロジェクト全体を外部委託することを行政は望んでいたのだと思う。

市民協働は今後も研究を続けなければならないが、経営感覚が行政にはないということでは上手くゆかないだろう。ごみ処理全体を産廃業者が委託されていたとして、その民間企業に対して、生ごみプロジェクトがかかわったとしたら、全く違ったものになったと思う。市民協働と言いながらも、この財政担当との接触や反応は皆無だった。しかし、予算の裏付けがなければ何も動かないのだから、本当はこの部分とのすり合わせが必要である。そして、その責任者たる市長の財政感覚は形式主義で固まって来ている。意気込みプロジェクトでは、無料の基材を提供している。新規の人への3回の無料配布はするが、そのあとは有料にするという変更になった。このプロジェクトの目的は8000世帯への配布である。8000世帯に配布するようになったとすると、毎年2,7%の燃やせるごみの削減ができるそうだ。8000世帯に無料配布すると1000万円ほどの費用である。

1キロ25円がごみの持ち込み料金だから、8000世帯が毎日500グラムの生ごみを削減すると。毎日4トンの生ごみが減ることになる。毎日10万円のごみが減っているのだ。年間3650万円になる。生ごみプロジェクトを進めてゆけば、財政的に年間2500万円がプラスになると考えるべきだ。これに伴う膨大な仕事を市民が協働で担おうというのが、このプロジェクトの進め方であった。しかし、行政は、1000万円の持ち出しのお金が、毎年出てゆくことだけを問題だとしていた。削減される経費を検討せず、この事業は持ち出しの事業であると決めつけている。恒常的な支出をしない、というような、訳のわからないことが理由である。目にみえた形で経費削減が現れないと主張する。こうして市民のお金を節約できるチャンスを逃している。私にはこの程度の計算ができないことに、やっぱり市民協働は無理かと感じた。しかも市長にもこのことを丁寧に資料を付けて、説明をしたにもかかわらず理解ができなかった。

ごみ会計の一方から見れば、財政的に1000万円の持ち出しで終わるという意見も出てくる。今のままの輸送委託量。今のままの焼却場の職員の配置。今のままの処分費の委託料。なにも改善しなければその通りである。ここに行政の役割がある。市民が1000万円で燃やせるごみを2,7%減らす。それが生きるような2,7%削減効果を上げるさまざまなことを行政が行う義務がある。これが民間企業であれば、交渉ができるし、有効に効果を上げるだろうことは確信できる。少なくとも、行政は生ごみは燃やさない。ごみは資源であると、目標を掲げるべきだ。こうした姿勢もついに現れなかった。市長が変われば、少しは変わるかと考えたが、残念なことであった。検討委員会に応募して以来、5年間努力した結果がこんなことで、空しい気分はあるが、努力はしたことなので仕方がない。友人としての加藤市長への、自分のできること、行うべき役割は果たした。

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