無に駄まで加えた文化

   

無ということを曹洞宗では、大切にする。無と言うことはないということである。否定することでもあるが、否とは違う。例えば無一物はなにもものを持たないこと。物に捉われないことであろう。何かで無いというのではない。比較してないのでなく。絶対的な空白であることを意味している。宗教そのものすらないとする思想。宗教では神と共に在ると言う事を大切にするのが、普通のことだろう。それが神すらも無という事を重視すると言うのは、特殊な考え方だと思う。多分、日本的な考え方というより、中国的な考え方だと思う。観念の言葉なのだろう。それと、日本人が自然と接する中で身に付けた、清々しさのような、さっぱりとした清浄感を持つ所とが、出会った。日本人の信仰の対象には樹木とか、滝とか、石とかがある。多分多くの民族が原始的段階ではそうしたものに対する信仰心があったのだろう。しかし、何も無い空白を信仰した民族は珍しいのではないだろうか。

沖縄の久高島の神聖な場所を尋ねた、岡本太郎氏が何も無いことに驚愕する。そして、縄文の日本の原点をそこに考える。それは、装飾華美なゴテゴテノ縄文と対極の縄文文化。私も久高島の聖地を尋ねて見ることを楽しみにしていた。しかし、立ち入り禁止になっていた。というより、密林化して居て立ち入ることが出来なった。石垣はあるのだが、ジャングル状態である。何も無い場所を作るということは、随分手がかかるということである。人の手が入ると言う事が何も無い状態を作れる。これが日本の自然である。砂漠なら何も無い所はいくらでもあるだろう。熱帯雨林なら、単一林に覆われた場所もあるだろう。日本の自然は、手を入れないとごちゃごちゃになって、手に負えなくなる。何も無い状態にするには、手入れを続けなければならない。人間の日々の努力の結果が、他所とは違う聖地を作り出す。

虚無というのは、無というものを味わうことができないで、空しい心境に陥るいうことなのだろう。西欧的ニヒリズムという方が分かりやすい。ヨーロッパが帝国主義的繁栄の終焉に伴い、西欧人の陥った心境のようなものではなかろうか。目的の喪失感と虚無主義は近い。西欧文明が異民族を搾取して、繁栄する。こうした矛盾が文明そのものの方角を失わせる。その時代に登場するのが印象派以降の西欧画である。個人の自己表現というものに、方角が向けられるのだが、退廃的であり、虚無的な絵画ともいえる。それが日本には、文明開化の近代絵画として、紹介される。明治政府の西欧かぶれ的な政策によって、日本は優れた自国の文化を捨て去るように、虚無的な芸術運動を本流として見誤ってしまう。明治期の日本では出発から、告発や、退廃が、芸術の役割として意識されてしまう。岸田劉生のように、西欧的リアリズムに出発をしながらも、日本的芸術意識を捨て切れずに、衰退した人は象徴的である。

江戸時代の無駄の文化はさらにすごい。無に続けて駄を蛇足に付けた。思想的な無の世界を洒落のめしてしまう江戸の庶民力。無駄を文化として、生きがいにまで仕立てあげてしまう。洒落本とか、地口本。とかどうでもいいような無駄口を、文化の潤滑油として育て上げた。もちろん川柳などその代表例である。発展とか、進歩とか、そういうものと違うところに生きる真実を求めようとした。人間の幸福というものが、お大尽とは違うということに気づいていた。粋の文化である。地場・旬・自給の思想も、無駄な粋な方角を求めているのだと思う。無駄ではあるが、虚無ではない。発展とか競争とかいう領域を、否定するわけではないが、別物とする思想。いわば自己新の思想である。最善を求めるが、あくまで自分の問題である。

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