森口尚史氏にこだわる報道
森口尚史と言う、でたらめな人間が人騒がせな嘘をついている。不思議な人間である。何故こんな幼稚な嘘をついてしまうのだろう。そしてどうでもいい馬鹿話に、マスコミは群がっている。群がるからこそ嘘をつく。この原因は日本人の根底に抱えた共通の問題があるからだと思う。コンプレックスが反映している虚栄心が、こんなグロテスクな人間を育てた。哀れな人生である。医師に憧れ、看護士になった人。その人が医師のように生きている。医科歯科大を卒業して、東京大学で博士を取得している、東京大学の中の不思議な位置にいる人。優秀な人ではあるのだろう。ネットで殺人予告事件を起こして騒ぎいでいる「真犯人」とよく似ている。コンプレックスが肥大化した、現代人の姿の反映。攻撃的な人間。世の中を憎んでいる人間。孤立した人間。嘘をつくことで目立とうとする人間。目立つことでその孤独を解消しようとしている人間。現代社会はコンプレックスを持つように仕組まれている。
こうした人間が現われると、異様な注目が高かまる原因は、コンプレックスを抱えて孤立している人が多数存在することを意味している。森口氏的要素が誰にでもあると考えるべきだ。それは東大の研究者で、それなりの研究をしていたとしても満たされない、いかんともしがたいものだ。山中教授のノーベル賞に触発されてしまい、嘘をつかざる得ない心の闇。この嘘は競争社会で育った怪物。常にある不満のはけ口として飛び出てきている。人を攻撃することで満たそうとする、苛立ちの人間、そしてそういう社会。その場にただ暮らしているだけでは、満足できない上昇志向。資本主義社会の作り出す、グロテスク化した欲望に破壊された人間の姿。資本主義の競争社会は、欲があるから世の中は回っているのだが、この回転がきしみ始めている。歪んだ人間に必要以上に反応してしまう、危うい状況。
自分が注目されることを生きる目的にしてしまう人がいる。これが人間をダメにする、大きな罠である。人間が生きる障害には、様々な欲があると仏教ではいう。名誉欲も五欲の中に入る。欲から離れることが人生を深めると言う意味。名誉欲の裏には、何くそと言うような、コンプレックスバネがある場合が多い。。ホリエモン的生き方。ホリエモンも衆議院選挙に出て落選した。浅原彰晃もそうだ。その他政治に進出したがる現世利益の宗教勢力。最近の政治家の多くはそういう人たちと言えそうである。目立たなければ選挙に勝てない。とそう言いながらも目立ちたいから政治家に成ると言う事の方がが先行する。そう言う現実が政治家をダメにしているのだろう。政治に理想があり、社会を良くしたいと考えているような政治家は、実に少ない。欲望が肯定される社会が限界にきている。
森口氏の単純な嘘に裏付けもとらず、報道した読売新聞の能力低下。読売新聞社と言うものの信頼性がはっきりとと崩壊した。世界初の快挙を報道するにあたり、最低限の確認行為も行わない。提供された情報を垂れ流す読売新聞社はすでに報道機関とは呼べないほどひどい。むしろこうした怪しげな情報には週刊誌なら引っかからないだろう。その後のテレビ局での、イジメ感覚が社会のうっぷん晴らしに成っている。強い人でイジメ手も良い人が出て来ると、テレビ局は意気揚々としている。森口氏に対する補助金の問題も出てきて、政府も洗い直すと見解を述べていた。それはそれで必要だけど、森口氏のような人はこれからもいくらでも登場する。視聴率がとれるから、大衆報道はついつい安きに流れて行く。こうしてみると、森口氏の虚言癖は、読売新聞にもあったという事だ。スクープをとって目立ちたい。そう言えば、読売を支配するとされる渡辺氏も似たような感じの人だ。こうした独裁者が存在する会社では、良い人材が育つはずもないのだろう。