情報売買市場

   

情報と言うものが何よりの価値に成る。情報の闇市場では、個人情報が一見10万円とも言われているそうだ。本来情報は安価で、平等のもので無ければならない。愛知県警が摘発した、情報密売グループが12億円の収入だったそうだ。携帯電話の番号や、自動車の登録ナンバーなどを販売していたようだ。これが氷山の一角であることは明らかなことである。情報には密売されるものもあれば、販売されているものもある。例えば音楽のデーターのダウンロードが刑事罰に成ることになった。インターネットが出来て、映像・音声・文字データーなどが無尽蔵に流通できることになった。これがアメリカでは、世界から手に入れている収入が11兆円を越えているそうだ。次の時代の情報産業の前兆である。蒸気機関による産業革命で、資本主義社会は拡大再生産の路線に進む。そして、電気、ガス、エネルギー供給システム、水道、通信網、道路、鉄道、港湾、空港、食料生産供給システムが完成して来た現代社会。

次の世界の展開は情報を重視する社会ではないかと言われている。人間が生きる上で、生活の利便性はほぼ達成された。残るのは人間の知能の満足である。見る喜びと言う事がある。絵を見て何が嬉しいのかと言われても困るのだが、その喜びが計りしれない、生きがいと言う人もいる。本を読む、学問をする。そこには、出世するとか、大金を得るとか、自己顕示欲とかを越えて、知識を得る喜びに生きるという真実の満足感を求めて行く人がいる。人間が生活をすることに余裕が出来た分、何に生きる満足を求めるかと言えば、自分と言う存在が十二分に生きると言うことだろう。それは知的満足であったり。日々の活動の充実感であったりする。農作業をするという事も、食糧を得るという切実なものがきばんとなり、作物の成長を日々感ずることで、自分の感性を豊かにしてくれる実感が伴う。江戸時代にはその豊かさへの気持ちが生産効率だけでない、作物の多様性を生み出した。

社会的インフラが整ってきた社会では、もう一度人間の感性の満足に向かうはずだ。それに大きな役割を担うのが、情報である。この状をいかに平等で、安価なものに出来るかが、課題である。現在情報と言うものが資本主義による、資産と言う事に成っている。売れる情報を作り、それで稼ぐことが重視されている。音楽の著作権は良い音楽を作るためには、経済的な見返りが必要と言う価値観の中で、音楽文化が形成されているかのように見える。しかし、これは本来の音楽から考えれば、資本主義と言う一過性のことである。良い音楽を作る喜びがあり、それを味わう喜びがある。そこに経済が存在しない社会の方がいい。お金にならなければ頑張れない。こういう頑張りの意味が減少して行く。お金に成ろうとなるまいと、自分の音楽を作りたい。そしてそれが、経済を越えて情報として広まる可能性は高い。それを可能にした情報の社会が生まれてきている。

これを遮ろうと言うのが、TPPである。偽物を取り締まると言いながら、実は情報を経済でコントロールして利益を上げようと言う事に成る。日本でも本の再販制度が問題にされてきた。出版業界が自己保身のために、良い出版を維持するためには、経済的な管理を必要とすると主張してきた。良質な書物は採算ベースには乗らないが、くだらない週刊誌で利益を上げてバランスをとる。と言うようなことが言われた。しかし、個人によって情報が自由に発信できる状況が生まれた。例えば、お米の栽培について、様々な情報が存在する。その中から自分に適合する情報を選択すると言う事が出来る。この情報は安価で、平等であるという事が、もっとも大切なことだ。絵画であっても、名作を個人が資産として秘蔵するのでなく、自由に誰でもが見ることが出来るほうがいい。それを遮っているのは、資本主義経済の仕組みに過ぎない。

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