サツマイモの収穫
今年のサツマイモは何故か、きれいに2個づつだった。「安納芋とべにまさり」を植えた。べにまさりの方が、作りやすいということなので、比較するために並べて栽培した。しかし、どちらも2つづつしか実らなかった。なにか、私の意図を察して、2つづつにしようと決めたごとくである。下手な私としては、作りやすさの判断も、道遠しである。たまたま食べた安納芋の美味しさにびっくりして作り出した。毎年上手には出来ないが、今年は芋の大きさとしてはいい方である。品種的なことで、種子島の品種だから、関東では作りにくいのか。こう思っていた。べにまさりは良くできると言うことだったが、やはり出来なかった。まだ食べてはいないので味の方の軍配は不明である。さつまとか、かぼちゃは取ってしばらく置いた方が、甘みが増してくる。それにしても、何故に2つづだったのか。それが不思議に立派なスーパーにあるような芋が2つなのだ。
サツマイモと言うと、青木昆陽先生が飢饉に備えた作物として広めたと、小学生の時教わった。つまり、荒れた土地でもできる。なんにもできないような土地でもできる。というイメージである。肥料を入れるようなことは今回もしなかった。鶏糞のような窒素分があると、葉ばかりになるという先入観がある。葉の量が少ない。せいぜい1株1㎡ぐらいの面積だった。それでも、芋がもう少しついているのかと楽しみにしていた。芋蔓式でなければおかしい。きれいに2個づつだから、何かサツマイモにも甘く見られたような具合だ。もちろん感謝はしている。一つも芋ができない事さえ何度かある。荒地と雑草が繋がっていたが、案外に雑草には弱いのかもしれない。野菜については分からないことばかりだ。いや、土壌と言うものがなかなか厄介なものである。去年捨ててあった芋から出た、蔓の方は何と小さいながら、20個も付いていたのである。
冬寒くなると、一度くらいは焼きイモが食べたくなる。落ち葉焚きでは焼き芋は定番である。冬の間に子供が集まるとやったものだ。落ち葉や藁を燃やして、その灰の中に入れた。焚火が子供のころから好きだった。焚火と言うと、焼き芋をやるということが条件反射のようなものだ。昔はそのまま灰になったあたりに入れた。最近衛生的ということか、銀紙に包んで焼き芋をやる。しかし、濡れた新聞紙の方が良いと言う人もいる。銀紙は高価なもので無駄に出来ない気がする。今のアルミホイルはそうは高くないのかもしれないが。銀紙には、子供の頃の到底使ってはならない高級品のイメージが残っている。銀紙に包まれたということで、すでにすごいものであった。要するに焦げ具合が美味しいのだ。あの焼き芋の焦げた部分との境を剥がしながら食べる甘味がいい。そう言えば、房総の棚田の整備では、一休みしながら持参した安納芋の焼き芋を作って食べて美味しかった。
2個でも本当は良い。10株づつ20株作ったのだから40個ある。40個あれば我が家では十分である。そんなには食べない。焼き芋の次に好きなのが、バターを引いてフライパンで焼く。その次が、天ぷらである。リンゴと煮たり、きんとんにしたり、コロッケにしたり、きんぴらにしたり、色々あるようだが、あの甘みがおかずと言うよりおやつである。おやつと言うものを食べる習慣が無い。苗作りから長丁場である。その前に種イモの保存が手間取る。保存には、まず暖かいビニールハウスで1週間ほど乾かす。そして芋穴に保存する。しかし、保存は1種に細い一株ずつで良いので、ビニールハウスの隅にもみ殻を入れて埋めておく。春になって水をやると芽が出て来る。この芽を切って挿せば、苗は一応は足りる。