水土の再生7、腐食物をどう考えるか。
土壌を耕作できる豊かさにして行くとは、腐食を増加して行くことが基本である。耕作土壌は耕作に向いた土壌であり、人間が人為的に作り出すものである。自然林が交代して行く姿をみて、山の腐植層がはぐくむ、循環の姿を理想として考える向きもあるが、それは山としての循環の姿であり、耕作地の成り立ちはまた違うものである。山の樹木も遷移しているのである。作物を作り、持ちだしてゆく循環は、人間が作り出す土壌である事を、明確に認識しておく必要がある。自然林の姿は、栗やクルミやぎんなんを作るのであれば、参考になるかもしれない。それがリンゴとなれば、そのままの再現をするのでは方向が違う。現代の果樹は改良が進み、その果実は自然とはすでに言えないものになっている。自然界で行われる何千年、何万年単位の作業を、耕作地では、せいぜい10年くらいの中で行うのであるから、自然に従うという意味を取り違えないほうがいい。
畑の土壌を作り出すということは、相当に人為的な作業となる。堆肥を持ち込む。これがまず一番の方法である。自然農法では堆肥もいらないと考えがちだ。それは堆肥というものを一辺倒に考えているからである。堆肥と言っても多様なものである。落ち葉堆肥、草堆肥、藁堆肥などを大量に入れることは大きな意味がある。樹木チップ堆肥も良く発酵させると良いものである。あくまでこれらのものは肥料として入れるのでなく、腐食を増やすために入れるのである。こうしたたい肥であれば、反年間10トン入れた所で問題はない。しかし、堆肥を入れることで、かえって窒素飢餓に陥ることがある。未熟であれば余計に土壌中の肥料分を消費してしまう。表面の土壌に蒔いて行くくらいがちょうどいい。自然に耕作するに従い、下の土壌と混ざって行けばいい。つまり土壌は耕さない。必要な時必要な作業として耕すのみである。イメージとしては、堆肥の積んである間で作物を作る。
耕すことは腐食を消耗させることになる。土壌と腐食物が撹拌されることで、腐食はたちまち消化されてしまう。近代農法のいう10トンたい肥とは、トラクターで土壌と深く撹拌して、腐食を消耗する方法である。腐食を豊かに維持するためには、耕転は必要最小限にする。いずれにしても、充分の期間、出来れば一年間以上堆肥として積みこんでから入れなければんらない。いわゆる消耗した堆肥である。実践では、こうした完熟たい肥を畑の上で作って行く。草を刈り畝から外して、一列に摘む。あるいは畑の使わない部分に積み上げる。作物の残渣も同じである。摘みあげた上に養鶏場の床材を蒔いておく。その下の土壌が良くなるのである。一年もすると、姿を無くして行く。これを繰り返してゆく。田んぼや麦の藁なども作物の周辺に敷いて行く。その量は、2反5畝の田んぼの藁が結局5畝の野菜畑と果樹5畝に使われる。それでも足りない気がするので、そばの製粉カスを米袋で年間200袋くらいは入れる。あくまで表面に入れて、耕作する際に混ざって行く。現在、3年目であるが、豊かと言えるまでにはまだ10年はかかると思っている。
田んぼでは冬の間に緑肥作物を育てる。緑肥作物は現在はクリムソンクローバーを育てている。イネ科作物を田んぼに入れることは良くないと考えている。稲藁はすべて持ちだす。イネ科作物は腐食するために時間がかかる。それを田んぼに漉き込むことは土壌を悪くする。菜の花でやることもある。レンゲでやることもある。いずれ十分に生育させることは難しい。田んぼの条件もある。ある程度生育してから、12月頃に、田んぼに養鶏場の充分に発酵した床材を入れる。緑肥作物を育てるためである。ミネラル分の補給にもなる。田んぼでは代かきやアラオコシが行われ、腐食の消耗が激しい。良い堆肥を入れることは効果が高い。私が考えている腐植は土壌学でいう腐食とは少し違うのかもしれない。もし、腐食がローム層も腐食であるという意味なら、全く意味が違う。微生物と連携している、新鮮な腐食でなければ作物を育むためにはならない。
昨日の自給作業:六条大麦の畑の準備1時間 累計時間:20時間