おだわらTRYフォーラム
小田原市は「おだわらTRYフォーラム」をサイレント・マジョリティーの声を掘り起こすための「新たな市民参画手法」としている。成果を新総合計画に反映させる。無作為抽出で選んだ市民3千人に招待状を発送。このうち185人が希望。9グループに分かれ、8ジャンル65テーマに分類された市政の課題を討議する。討議内容は(1)福祉・医療(2)暮らしと防災・防犯(3)子育て・教育(4)地域経済(5)歴史・文化(6)自然環境(7)都市基盤(8)地域経営―の8ジャンルで、各ジャンル4~10の計65テーマが設定されている
情報提供団体として二度出席した。地域のごみ市民会議として「ごみをへらそう」に。あしがら農の会として、「都市住民との農業交流」。TRYは市民、行政、市民団体。の3者を意味するそうだ。出来る限りの情報を提供したつもりだ。小学校のグループ学習を思い出した。このトライフォーラムで成果は、200人の市民が小田原市のことを真剣に考えた、と言う事であろう。裁判員のように抽選で選ばれてしまった人である。こうした人達が200人存在すると言う事が、素晴しい。職員の人達も熱心に取り組まれていた。そうした点では、評価できる活動であったが。問題点も多分にあった。行政に自己改革という意識がない点には、本当に驚いた。トライフォーラムのテーマは行政各課が提案した、都合の良い、当たり障りのないテーマに限定した。市民が議論すべきテーマは、市民より応募するのが本来の事。
最初の「農業交流」のときと、2回目の「ごみを減らそう」では、微妙にフォーラムの手順が違っていた。例えば、行政10分、市民団体10分の情報提供の順番が、逆転していた。最初のフォーラムでは情報提供者は情報を提供した後退席した。今回は雑談をしていた。3角形の1角がどういう位置づけだかわからないまま座っているというのも、辛いものがある。「ごみを減らそう」の副題として、「ごみを減らすために、市民と排出事業者に出来る事。」が付けられていた。議論が行政に向かないような手法がとられている。ごみを減らすために一番やらなければならない改革は、行政の仕組みである。行政の作る仕組みにこそ、ごみを減らす、大半の要素がある。所が行政には議論が及ばないように、始めから自己防御が仕組まれていた。こんな設定のゆがんだ、市民フォーラムでいいのだろうか。この点は意見を述べさせてもらった。司会者からは曖昧な補足があった。事を荒立てても、仕方がないので控えたが、肝心の行政の意識は遅れたままだ。
市民参加の新手法で、市民の意識改革を図ろうと言う事は、理解できないでもないが、行政内部の意識改革を先ず行うべきだ。ごみの減量を市民の出し方の責任にしているのは、「ごみファッショ」に繋がる。いやな空気の市地域社会になりかねない。ゴミの出し方という正義を振りかざし、他人のゴミ袋の中身の検閲する人間が現れる。地域が監視社会になりかねないリスクにたいし、充分に配慮する必要がある。少しそういう傾向が、感じられる。ごみが減ったとしても、そんな社会は愉快ではない。お年寄りや障害者が、充分な分別が出来ない。こう言う現実もあるのだ。行政がごみを減らしたいと考えているなら、先ず、広域化がどう影響するか。溶融炉はどうなのか。生ごみの堆肥化はどうなのか。もっと本質に目を向けなければならない。ペットボトルも一括焼却の方が、安上がりという考えがある。生ごみを燃やして、助燃に石油を使うなら、同じことになる。経済の合理性なしに、ごみの減量はできない。経済の要にいるのが、行政である。
集まった市民のみなさんが最後に、話し合った内容を発表し、評価をした。又グループ学習を思い出した。要するに市民を教育している、つもりにみえた。内容的には、新総合計画に取り上げるものは、残念ながらなかった。本気で取り上げる気持ちもないまま、採点までする。市民が市政参加を学習するためには、実際の問題にぶち当ることだ。子供の遊び場がないから、街に児童公園を作ろう。こうして動き出して、次々に問題を解決して、ついに実現した話を聞いた事がある。そこまで踏み込んで始めて勉強が出来る。
昨日の自給作業:草刈1時間 累計時間:15時間