能登島の農地

   

石川県の能登半島七尾湾の中にとても柔らかな島がある。「能登島」私が学生だった頃はまだ橋はなく、船で渡った。能登半島が少し重い空気なのに、この島に行くと不思議にのどかな空気が流れていた。何か格別の特徴があるという訳でもないのだが、ともかく悠久とか永劫とか、人間の暮らし以上の時間が流れていた。橋ができてからもいったが、とても変わった。ガラス美術館が島に似合わない様相でできた。異物のような感じになった。観光中心になったんだな。そう思わざる得なかった。「農業関連の土木事業は1962年から2005年までの43年間で300億円余りになる。」能登島の耕作地は2005年で410ヘクタール。1960年から、約373ヘクタール(47・6%)減った。農業就業者は60年の2462人から、05年には177人に激減した。

一方、「愛知県刈谷市が、優良農地(農振農用地)の土地改良事業完了から一年以内に工業団地化の構想をまとめ、転用の事前相談を受けた東海農政局が完了から三年後、許可する見込みを伝えていた。」どちらもいかにもありそうなことだ。農業が衰退してゆく姿。もがき苦しんでいる農地の事が見えてくる。全国いたるところで、農業予算で土地改良事業を行った農地が、後に農地で無く成るという事例は幾らでもある。住宅になり、工業団地に成る。崩壊ともいえる農業の中で、方向が定まらない。農地所有者の少なからぬ人が、農地以外に転用可能になることを、売る売らないにかかわらず、どこか希望している。土地の価格が10倍にもなる。資産管理が農地の目的化している以上。当然の希望である。そうして裕福になった事例をあまりにたくさん見てきた。

麻生首相のように、金融危機に対し、日本の成功した方法をアメリカに教えてやる。くらいの認識で居た人も居る。今でもまだ経済回復、とか幻想を持っている。山北に移った頃から、日本は1985年以降、本質的には経済は良くなっていない。海外の上昇に釣られて、日本が空洞する形で、日本人の暮らしが宙に浮いただけだ。背景にあるのは、どこかの国の貧困のお陰で、日本人の暮らしが裕福になる構図。経済と言う言葉は適当でないかもしれない。日本人の能力と言う方が正しい。実力がないのに、コロリ転げた木の根っこ。ウサギが転げてくるのを待つ暮らし。今もそうである。アメリカ経済の回復。中国経済の回復。自分たちが何を行うのか。こうした展望は、実に乏しい。政治家だけが、能力低下しているのではないと思う。官僚だって本当の人間力がないから、天下りと言うような所にしがみついている。

今国を挙げて行うことは、教育。米百表の例えどおりだ。人間の教育に投資する以外、日本人の生きる道はない。英才教育ではない。普通の人の普通である教育。国民全体の教育水準の上昇。学校の教員が忙しいなどと言う状態は、すぐにでも解消する。事務職員を一気に倍増する。教員に社会の優秀な人材を入れてゆく。教員の再教育の機会も充分にとる。学校には充分な農地を併設する。教育の多様性が保持されるように、初等教育から様々な対応を準備する。学ぶ側の個性に応じた選択の巾を広げる。社会人になってからも、学びたい教育を受けられるような、仕組みを整備する。還暦になってからでも学んで社会に貢献できるような、奥行きのある教育の仕組みを作る。教育への投資。一番立ち遅れた部分だ。企業が望むような即戦力的能力より、人間力を深める必要。つまり、美しいとか、悲しいとか、感激出来るとか。豊かな人間を作り出す教育。稲作の担って来た日本人を育てる教育が、今こそ再生される必要がある。

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