飼料米の展開
飼料米が急加速している。最近の農業状況の中で、これほど希望の持てる展開は嬉しい限りだ。飼料米に乗り出す飼料会社も出てきた。農協ぐるみで、飼料米に取り組むところもある。田んぼを田んぼとして使いながら、飼料米の拡大が図られるのだから、言う事無しだ。田んぼは田んぼとして維持してゆくことが、一番いい。水利全体が関係する事で、作らない田んぼが増えることは、継続する人の負担が増加すると言う事にもなっている。田んぼは何千年でも連作して良く成るという、素晴しい永続性のある。自然の一形態ともいえるような、農業形態だ。日本人の暮らしとも良く結びつき、農家の二世代前までは、身体に染み付いた所作まで田んぼ作業から、自然と出てきていた。当然信仰とか。精神的な根底とかには、田んぼ耕作に深く根ざしていた。その田んぼを減反しろ、耕作してはならない、これがすっかり農家の気持ちを、萎えさせてしまった。
飼料米の奨励得優れている事は、すぐにはじめられると言う事。農業機械全てが、農家が既に動かしているものがそのまま使える。水路から農道から、ライスセンター、保存倉庫。相当量まで、対応可能な施設が準備されていて、新たな投資が必要がない。技術的にも、農家の今までの技術蓄積がそのまま生かされる。当然企業的に大規模に取り組む場合でも、飼料米は展開に可能性が広がる。さすがに飼料の値上がりや、輸送コストの値上がりがあっても、現状では国際競争力はない。しかし、日本の田んぼという、循環的な農業生産の手法は、長いスパンで計算をして見れば、コスト的にも充分に採算が合うはずだ。田んぼの環境調整能力。生物多様性の維持保全。そうした全体性から、当面飼料米の生産に、十二分に手当てをして、道筋をつけるべきだ。
大豆でも、麦でも、減反作物と呼ぶことがある。本来米を作った後作に、作付けして、裏作と呼ばれたものだ。裏作だけやって、減反補償というのも変だが、そうなっていた。この一年2作する田んぼの廻し方も、農水省は復活してゆこうと言う事になった。全ては、食糧自給のためだ。田んぼを廻すと言う事でいいのは、専業農家が育つと言う事だ。いや、専業農家で無ければできなくなると言う事だ。よほどの技術的な蓄積が無ければ、上手く出来ないだろう。段取り8分の言葉を思い出す。段取りが頭の中で、完全に作られていなければ、気象の変化ひとつに対応できないだろう。農家が専門職に戻ると言うことになる。技術が尊ばれれば、誇りが持てるし、やる気になる。
原油の高騰。飼料価格の高騰。やっと日本の国土というものの意味が、再認識されてきた。本来食糧は国際比較するようなものでない。世界の状況が、あまりにアンバランスのため、目がゆがんでいるだけで、食糧自給は不可欠な国家の基本要素だ。先ず自分国の食べる食糧をしっかりと作った上での事だ。飼料米に目が向いたのだから、これをもう一歩進めて、備蓄米と兼ね合わせて考えておく必要がある。いざとなったら、人が食べられるように保存しておく。家畜には保管しておいた古いものから使えばいい。一年分くらいは食料が保存されていれば、いざという時の緊急支援に使える。価格の安定にもなる。これから起こるだろう世界的な食糧危機に備える意味でも、人が美味しく食べることの出来るものを、飼料米にする仕組みづくりだろう。