中国餃子

   

中国天洋食品の餃子に、殺虫剤が混入していて、大騒ぎだ。どうも最初から、この事件様子が変なので、実態が見えるのを待っていた。所が、調査の間に、むしろ中国で製造された、あらゆる加工食品が、日本に浸透している、ビックリの実態が見えてきた。おいしくて、安いから、当然と言えば当然だけど、想像はしていたけれど、良くもここまで中華か。欧米化どこころではない。40%を切る食料自給率と言うものの実態が、白日に晒された。確かに中国で加工するのは、ごみも出ないし。日本にとっては好都合だ。でも、何かが変じゃない。何が変だかは即断できないけど、それを考えて見たい。

いつも思うのは、海外の安い労働力とは何かと言う事。安い労働力で、コストが節約できるおかげで、安いものが手に入る。それは一先ずありがたい。そして、中国の人には仕事が提供できる。しかし、この仕組みで失っているものもある。日本企業の海外進出は、両者にとって、本当に、いいことなのだろうか。この仕組みを考えて見たい。日本も、私が育った時代、中国と同様で、アメリカより安い賃金で、経済がバブルまで膨れ上がった要因は、この賃金格差にあった。仕事があるのだから、ありがたい。これは一義的には、その通りだ。経済と言う尺度が、各国固有の思想や宗教の壁を乗り越えて、地球全体を一つにしてゆく。これを止む得ないこととするか。人間の価値観とか、正義は一つに成りうるのか。人間は楽なほうに、楽なほうに流れてゆく。一度車に乗ると、歩けなくなる。歩く事で良しとしてきた人を、わざわざ車に乗せる必要があるのか。確かに、暮らしは飛躍的に便利で快適に成る。病気も減る。長生きもできる。その価値観が、人間の全てか。

この先の事だ。便利とか、快適には、終わりがある。終わりがないと思って、人間は足掻くだろうが、必ず、終わりが来る。足るを知る。無一物。この冬、暖房のない暮らしを、継続している。今も寒くて、鼻水が出るが、この寒さを感じるのも悪くはない。夜半より冷たい雨が降っている。今日は予定では、鶏小屋の床の土を、田んぼに撒く。雨でもやりたいが、中止になる。濡れない方がいい。本当に濡れない方がいいのだろうか。と思う所がある。地球と言う器の中で、どこかで人の暮らしは治まらなければ、人は滅ぶ。中国の人が当然の事のように、経済発展を望み、より快適な暮らしを目指す。その、うわまえを戴くように、しばらくは日本人も楽をする。中国が終われば、新たな安い労働力を目指すだろう。

学校給食、外食チェーン店、生協と、ありとあらゆる所が、実はそこで作っていない。和風惣菜まで購入して、販売していた。冷凍加工食品が大量に流通するしくみの中では、中国での加工食品が占めるのは、当然の帰結だった。「安いものばかり求める、消費者が悪い。」ミートホープ社長の言を思い出す。「食は自己責任。食べ物は、自分で作る。作る場所は提供しますよ。」これが農の会の考え方だ。食は自給するのが本来。中国に、1円でキャベツはある。しかし自給のキャベツは、経済価値だけではない。生きる真実に触れることが、できるかもしれない。生きると言う事は、経済を越えている気がする。中国食品の安全をつべこべ、言う事自体がおかしい。嫌なら食べなければいい。食べなければ1ヶ月で変わる。食べざる得ない日本の食糧生産の現実。中国の労働者と同じ条件で、日本の農業者はいればいい。中国にも輸出できるように頑張りなさい。こう言われても、それならあんたがすればいい。もうやる人が居なくなっている。

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