戦争体験の藪の中

   

昨日は小田原でも戦争体験を聞く会が、いくつも開かれていた。夜はピースカフェを開催したので、集まりには出られなかったが、昼にあった、「8月15日の会」の3回目の集まりには出させてもらった。回を重ねるごとに集まりが良くなっている。又この集まりで特徴的なことは、自分の戦争体験を話させて欲しいと言う人が、必ず現れることだ。そして、戦争体験を熱心に語られる。もう話さずにはいられないと言う感じを、いつも受ける。こうした集まりは、そうはないだろう。戦争体験を語ることが出来る方は、70歳を過ぎている。そして、体験した年齢で感じ方が全く違う。極端に言えば、一年ごとに戦争の感触が違う。以前、90を越えた方の、体験話が、戦争中の軍隊での自慢話に進んでしまい、戦争賛美の話に変わってしまい。主催者が慌ててしまった会もあった。

体験が、真実とは思わない。戦争の写真展も時にあるが、写真だからと言ってこれも、真実だとは思わない。あくまで個別の個人的なことだ。あるいは表現と言ったほうが正確だろう。それは芥川龍之介の、「藪の中」でえがかれたとおりだ。大東亜共栄圏の批判も昨日の会で語られていた。しかし、それはその時代のなかでは、実に実態は見えにくいものであったに違いない。今の日本の経済のあり方をどう見るかと同じなのだと思う。日本のアジアへの経済進出をどのように評価するか、あるいは否定するか。実に、現実は、負と正が入り混じっている。恩恵を、あるいは救済を与えていると傲慢に言う人も居る。しかし、日本の経済進出が、その国の自立を阻害していると言う人も居る。現実は複雑怪奇で、そう簡単に割り切れない。しかし、アメリカを中心とした、グローバリズムが結局は経済支配になり、世界の文化を崩壊させている。世界の紛争の火種になっている。

衆議院議長河野洋平氏は小田原選出の衆議院議員だ。自民党では数少ない護憲派だ。全文をあえて転記させてもらった。

全国戦没者追悼式での、河野洋平衆議院議長による追悼の辞<全文>
天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が挙行されるにあたり、謹んで追悼の辞を申し述べます。
 終戦のご詔勅のあの日から62年の歳月が流れました。国策により送られた戦場に斃(たお)れ、あるいは国内で戦火に焼かれた内外全ての戦没者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げます。
 今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれたものであり、私たちは日本人として、これを決して忘れてはならないと思います。三百万余りの犠牲は、その一人一人が、一家の大黒柱であり、あるいは前途に夢を持ち、将来を嘱望された青年男女でありました。残されたご遺族の悲しみを思います時、私は失ったものの大きさに胸が潰れる思いであります。
 そしてそれは、わが国の軍靴に踏みにじられ、戦火に巻き込まれたアジア近隣諸国の方々にとっても、あるいは真珠湾攻撃以降、わが国と戦って生命を落とされた連合国軍将兵のご遺族にとっても同じ悲しみであることを私たちは胸に刻まなければなりません。また私は、日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたいと思います。
 私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということでありました。そのために、私たちは一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた、「日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました。
 今日の世界においても紛争は絶えることなく、いまも女性や子どもを含む多くの人々が戦火にさらされ苦しんでいます。核軍縮の停滞がもたらした核拡散の危機は、テロリズムと結びついて私たちの生存を脅かそうとさえしています。私たちは、今こそ62年前の決意を新たにし、戦争の廃絶に向け着実な歩みを進めなければなりません。その努力を続けることこそ、戦没者の御霊を安んずる唯一の方法であると考えます。
 私は、国際紛争解決の手段としての戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、報復や脅迫の論理ではなく、国際協調によって運営され、法の支配の下で全ての人の自由・人権が尊重される世界の実現を目指して、微力を尽くして参りますことを全戦没者の御霊を前にお誓いし、私の追悼の詞(ことば)といたします。

 - Peace Cafe